2021年3月18日木曜日

糸大八「天秤や蚤の跳躍忘ぜしか」(「円錐」第88号より)・・・

 

「円錐」第88号(円錐の会)、「円錐の一句」のコーナーで、橋本七尾子が「糸大八と長岡裕一郎」と題したエッセイの中に、


  (前略)創刊号の表紙は、糸大八の絵による巨大な蚤である。何故巨大な蚤なのか。亡くなってしまった糸大八に聞くすべはないけれど、聞けたところで笑ってのらりくらりと言を左右にすることだろう。一緒に俳句を作って、句会をやって、夜の街を飲み歩いて、遠くまで旅をしたりもしたけれど、意見らしい意見を言う人ではなかった。大きな身体をすぼめて、半分隠れているような風情であった。

  行く年の踊場の灯は點けておく   創刊号

  心太突き出されたる岬かな      二号

  水仙の風で航海してをりぬ      三号

  天秤や蚤の跳躍忘ぜしか       四号

  こほろぎの脚をかけたる飯茶碗    五号

 四号の作品の題は”焦げる蛋白質”という奇異なものである。これは「上九一色村の蛋白質の焦げる夏」の一句に由来する。いうまでもなく、オウム真理教の上九一色村での無残な犯罪をイメージしてをり、糸大八がどれほどの怒りを持っていたかが推測される。めったに見せない糸大八の激情である。(中略) ちなみに表紙絵は四号から長岡裕一郎の絵に変わった。

 長岡裕一郎の花の絵は攻撃的なささくれだった線でアネモネやカラーやバラを描いた、一癖も二癖もあるものである。長岡裕一郎の句、

  自転車ではこぶムラサキシキブかな    三号

  みずからを紙にくるみて春祭       四号

  空蝉はグラスのふちに架かる午睡     五号

  妹とひなたぼこりを切り遊ぶ       六号

「円錐」創刊時の同人は十六名である。その後、八十七号の今に到るまでの三十年間をともにしてきたのは七名にほどにすぎない。

 そして私たちは糸大八と長岡裕一郎を失った。二人の思い出を書くのも最後の機会になりそうだ。

 糸大八は病を得ると外界との接触を断ってしまった。その意思を尊重した私は見舞いにも行かなかったし、葬式にも行かなかった。(中略) 死の前後については何も知らないため、糸大八は今も昔の姿のままで思い出される。(中略)

 長岡裕一郎は一人で死んだ。朝から酒を飲んだりしていて心配ではあったが、結局寄り添ってやることはできなかった。人は一人で自分の生を背負うしかないと解っていた。だから誰も恨んではいなかったろうし、私たちにも悔はない。


 とあった。愚生は「円錐」同人ではなかったけれど(「未定」時代の仲間だった)、確か西荻窪の橋本七尾子の大邸宅(転勤多き夫君の借り上げ社宅)で、不定期で行われていた句会に、攝津幸彦、澤好摩、仁平勝、糸大八と夫人の荒井みずえ、長岡裕一郎、池田澄子さんもいたかもしれないが、その会にお邪魔していたことがある。じつに充実した時を過ごさせてらったように思い出す。他の稿では、とりわけ、連載二回目の今泉康弘「三鬼の弁護士―藤田一良(ふじたかずよし)と鈴木六林男」が読ませる。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


   一対の蝶の足浮く潦           江川一枝

   握りたる空蝉虚ろなき微塵        澤 好摩

   あらそひて果てて白鳥鳥くさし      大和まな

   ヘブンローブルーの絡みし先の梲かな  和久井幹雄

   初電話「めっちゃげんき」を疑ひぬ    後藤秀治

   死に際がけつこう長いばつたんこ     立木 司

   天皇の嚏のあとの御名御璽        栗林 浩

   コスモスへ物柔らかに物を言ふ     荒井みづえ

   一枚の枯葉ポストへ届きけり      田中位和子

   厚着の児帽子の長き耳二つ       原田もと子

   生涯に一音たてて朴落葉         丸喜久枝

   時鉦なき時計のみ在り八月来       小林幹彦

   抜刀ノ隊長ヲ撃て!月の森       三輪たけし

   くりかへしわれより翔てり秋の蝶     横山康夫

   誰も彼(か)も遺されし者冬紅葉    山﨑浩一郎

   大鍋の形(なり)に立たせて冬の水    山田耕司

   ニュートンは嘘を語りき雪ばんば     味元昭次

   たいがいは易々と死ぬ冬の蠅       八上新八

   よく見えねど冬芽は赤にちがいなく   橋本七尾子

   鳥の巣を見に行ったまま春の山      今泉康弘  



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