2021年3月14日日曜日

森田峠「冬空やキリンは青き草くはへ」(『森田峠全句集』)・・・


 『森田峠全句集』(ふらんす堂)、栞文は、深見けん二「写生の範」、宇多喜代子「ゆるぎのない客観写生」、片山由美子「写生に飽かず」、三村純也「縁」、岸本尚毅「写生と諧謔」。その深見けん二は、


 森田峠さんに、私がはじめてお会いしたのは、あの第二次世界大戦の終戦の翌年、昭和二十一年である。私は世田谷区成城にある叔父の家に未だ疎開していた。そこへ未見の峠さんが、わざわざ訪ねてこられたことはよくこそと思う。

 戦争中の「ホトトギス」の雑詠は三段組、姓もなかったが、地名に学生は大学名を入れていた。峠さんは、昭和十九年には國學院の学生で、岡安迷子さんに連れられ小諸に虚子先生を訪ね、峠という俳号をいただいている。


 と記している。また、岸本尚毅は、


(前略)峠氏の師の青畝は天才であった。そのような師を持った幸せと、その俳壇的継承者たることを運命づけられた重責が俳人峠を作った。峠氏の辿った道は当然、凡才の道であった。それは写生と諧謔の融合である。一途な写生が思わぬ笑いを誘う。そのような俳句は、青畝はもちろん清崎敏郎や波多野爽波などにも見られる。峠氏はその道を、最も愚直に進んだ。天才青畝の前ではどんな才能も無に等しい。峠氏は才を消すことによって青畝から自立したのではなかろうか。(以下略)


と、述べている。そして、宇多喜代子は言う。


 (前略)昭和四年に阿波野青畝より創刊された「かつらぎ」は、平成二年に森田峠に渡され、その後森田純一郎に継承された。『避暑散歩』に、

  父として日記は買はず絵本買ふ

  避暑に来て絵本読まされどほしかな

がある。ほほえましい父子の場が見えてくる。

『森田峠全句集』の刊行は、まず森田峠の句業を残すことであり、阿波野青畝孝行であり、多くの「かつらぎ」ファン待望の句集でもある。刊行が待たれる。


 加えて、森田純一郎の「あとがき」には、


(前略)峠が生前に上梓した八冊の句集、逝去翌年に平田冬か・村手圭子両副主宰が峠の句帳から選んでくれた句を含め発行した遺句集、平成三年に刊行した「森田峠作品集」の中からの補遺句、そして句集に収録されなかった「かつらぎ」近詠からの句、及び遺句集にも入れなかった句帳からの句を含め、合計四七三七句をこの全句集に収めました。


 とある。愚生が思い出す森田峠は、巨漢で恰幅のいい、穏やかな無類の人である。30年以上前、「俳句空間」第8号(弘栄堂書店版)での、阿波野青畝自宅でのインタビューに、仲介をしていただき、かつ同席していただいた。聞き手に宇多喜代子、藤川游子も一緒だったように思う。ともあれ、膨大な句に比すれば少ないが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。写生は自ずから、その時代をも写し取る。


   森田家の背高の墓を洗ひけり         峠

   見えねども富士へ向けたる避暑の椅子

   起立せぬ卒業の子に式進む

   唇をとぢたる師あり卒業歌

   たゞ一戸たゞ一槽や紙を漉く

   一機いま南十字の一つ消す

   足もとに海金剛のすみれかな

   地震にも耐へし玉垣さねかづら

   一羽さり一羽となれば囀らず

   数へたくなる鶏頭に出合ひけり

   正面といふもののなく花氷

   これ以上下手には吹けずひよんの笛

   つつがある選者いでます翁の忌

   ただ一人渚伝ひに遍路急く

   傾ける杭をかはせみ好みけり

   卒業はまだかと言はれまだといふ   

   

  森田峠(もりた・とうげ) 1924(大正13)~2013(平成25)、大阪府生まれ。

享年89。  


          芽夢野うのき「冷えてます椿の朝の素足です」↑

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