2021年3月21日日曜日

中塚一碧楼「すうたらぴいたら少年ピッコロを吹く春の地しめり」(『自由律俳句と詩人の俳句』より)・・・

 

 昨日の「鬣」つながりで、樽見博『自由律俳句と詩人の俳句』(文学通信)。帯の惹句には、


 資料収集に基づく考証でたどる近代俳句史

 とつとう鳥とつとうなく青くて低い山/中塚一碧楼

 何ゆえに、自由律を選んだ人たちが現れたのか?

 俳句とは何か—俳句に関わるものは、五七五定型、季語、切れ字の効用に凭れかかることなく、考え続けなくてはいけない。自由律俳人たちの懸命な足跡はその意味を教えてくれるのである。


 とあり、帯の背には、「定型は疑う余地のないものなのか」と記されている。著者「あとがき」には、


 近代俳句史をたどる上で、新興俳句系の資料は数が多いこともあるのか、多くの資料が現在も残っており、古書市場にも出て来る。その資料を基に前著『戦争俳句と俳人たち』も書くことが出来た。一方で、自由律俳句の資料は殆ど姿を見せず、ましてや、『層雲』とか『海紅』の自由律俳句誌が数年分まとまって古書市場に出て来ることは期待できそうにもなかった。(中略)

 ところが、珍事が起きた。東京のある古書店の主人が高齢の爲、長年収集してきた倉庫に眠る膨大な古書群を古書市場に放出し始めたのである。その中に『ホトトギス』『雲母』『馬酔木』『天の川』『石楠』『鹿火屋』『寒雷』など戦前戦中の主要俳句結社誌、俳句総合誌『俳句研究』の塊りが含まれていた。そのような夢のような事態が起こらなければ、前記拙著も完成できなかった。その他に『海紅』数年分と、三重県で出されていた新傾向俳句誌『碧雲』の十年分くらいがあって、幸いにも入手することが出来た。(中略)

 私は四十年間古書業界の世界で生きて来た。『日本古書通信』という雑誌の編集が仕事で、厳密な意味では古本屋とは言い切れないが、業者の古書市には参加でき、かつ神保町古書街がそばにあるという、資料を入手する機会に恵まれている。偶然にも私の元に来てくれた俳句史資料を活かすことは使命と考えている。(中略) 民族民衆の芸術である俳句を生彩あるものにしようとぶつかっていった自由律俳人たちのことを少しでも本書を通して知っていただけたら本望である。実のところ私の俳句解釈は深いものではない。その点はよく自覚しているので、あくまでも資料の紹介に重点を置いて書いたつもりである。


 と、述べられている。内容については、大きく、「第一章 自由律俳句について」、「第二章 自由律俳句の諸相」、「第三章 詩人の俳句」、付録として「荻原井泉水著書目録抄」によって構成されている。これらの膨大な資料を紹介しながら、樽見博がそこから得た短いながら的確な評にはうなづける。例えば、『俳壇春秋』での座談会においての尾崎放哉への短律句への否定的な評価が話されているのに対し、くり返し反論している部分を引用し、


  これはまだ放哉生前の評である。井泉水が認めなければ放哉はやはり埋もれたままだったろう。


 と評するのである。詩人の俳句では、鷲巣繁男に触れているのは、嬉しかったが、かのカトーノヴィッチ・イクヤ―ノフこと加藤郁乎論の一巻『戯論(けろん)』がなかったのは、愚生にとっては、ちょと淋しかった(もちろん、愚生は、その内容について、すべて忘却の彼方なのだが・・・)。ともあれ、本書中より、いくつかの句を孫引きしておこう。


   春の人屑へがくりと遮断機が鰓をあけた      栗林一石路

   夜もこゝろ安くゆくゆくの蟲の声を家路を     安齋櫻磈子

   海辺の枯草噛みかみ軍馬らいなくなる        横山林二

   かお                      青木此君楼   

   いろ                       〃  

   あつい湯さしては行水をしていちじくの青い実   池原魚眠洞

   蛙のこゑの満月                  大橋裸木

   干足袋の夜のまゝ日のまゝとなり         河東碧梧桐

   分け入つても分け入つても青い山         種田山頭火

   足のうら洗へば白くなる              尾崎放哉

   すかんぽぽつきり折つた音です           北原白秋

   しほざゐほのかに月落ちしあとかな        野村朱鱗洞

   花八ッ手満月路地をはなれけり           木下夕爾

   雪が積もつていよいよ崇高の峰だ          千家元麿

   空風に小手かざしゆく河童かな           北園克衛

   時計師の俯向勝や秋冷ゆる             竹中 郁

   松を立てず門に倚りて病脳の芽を測る       日夏耿之介    


 そうそう、昨日のブログの「鬣」第78号には、樽見博の、これも一読に価するエッセイ「勝峰晋風と映画『復活』」が掲載されていた。「蜜柑むく爪愚にも伸び居たり」晋風の句を挙げていて、晋風主宰の俳誌「黄橙(こうとう)」の昭和六年七月号に、


 (前略)この「新連句復活」が全文収録され末尾に「フォックスの映画化より新連句へ」とあった。つまり映画を見ての作品で、後の新興俳句による戦火想望俳句の先例といえようか。昭和六年ごろに上映された映画『復活』を晋風はどこかで見たのである。無論、島村抱月・松井須磨子の芝居『復活』は世に知られている。(中略)

 この重厚な映画を連句にするのはかなり困難だろう。それにしても、晋風のような俳人にもモダニズムの波が打ち寄せていたとは興味深い。


  と記されてあった。


          

     撮影・鈴木純一「しゃんとおし御覧スナップエンドウを」↑

2 件のコメント:

  1. 大井さま
    拙著紹介ありがとうございました。鷲巣の『戯論』のこと実は知りませんでした。先日古本屋りぶるりべろの川口さんから、『戯論』は私が薔薇十字社時代に編集した本なんだ、出ていなかったねと話がありました。早速入手しましたが、鷲巣らしい本ですが、ちょっと拙著に取り込むのは難し感じです。まだまだ見落としはありますね。

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  2. コメントありがとうございます。もっとも、一冊まるごと郁乎論を書いてもらいながら、その後、郁乎は鷲巣繁男と絶交したかに聞いています。

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