2021年3月27日土曜日

坂内文應「春愁ひをさまらぬ儘をさまりぬ」(「『ほとけのこゑ』展」)・・・

  



                                     

   俳句・坂内文應、写真・渡辺康文「ほとけのこゑ展」(新潟絵屋)、2021年4月3日(土)~14日(水)、開館時間/11時~18時(最終日17時)、会場/新潟絵屋(電話025-222-6888・新潟駅万代口から観光循環バス「旧小澤家住宅入口下車徒歩4分)。


 パンフレットの坂内文應「仏教と俳句走り書き」には、


  まずもって半世紀も越佐の仏教美術を撮影してきた無類の居士、文殊堂さんとのコラボ企画を絵屋さんからいただいたことに感謝したい。(中略)

 人類の精神史は、ざっと十数万年前からとみてよいと思うが、全世界的に言葉の統辞構造が確立した時に、同時に生まれたのが宗教と芸術であるという考察があり、わたしもその立場にいる。(中略)小千谷の詩人、西脇順三郎の詩作品に登場する原始人は、しばしばカタカナで叫ぶ。わたしはその滑稽で淋しくもあるこれらの”こゑ”に意味など求めはしない。なにやら心がひろやかに安らぐ。おそらく宗教と芸術以前の原郷的な空気を感じるからだろう。(中略)

 世界の「詩」は全て韻文に始まっているが、その末裔として我が国に俳句がある。写真は、わたしにはフロッタージュの遠隔装置のように見えたりもする。光陰をこそげとっているような感じもある。(以下略)


 とあり、近現代俳句の物故作家の「仏教+俳句33句抄」が添えられている。ともあれ、

以下に、いくつか、坂内文應の句を引用しておきたい。


  水草(みくさ)生ふ首を傾(かたぶ)け如来像      文應

  永き日やよき偈(げ)を唱へ地蔵尊

  角(つの)大師へ氷を踏みて詣でけり

  早蕨を手折りて衿羯羅童子(こんがらどうじ)かな

  留(と)め処(ど)なく湧きては冷ゆる泪かな

  施無畏印(せむいん)のやはらかにして春の闇


 坂内文應(さかうち・ぶんのう) 1949年、新潟生まれ。加茂市龍澤山雙璧禅寺住持、俳誌「白茅」代表。

 渡辺康文(わたなべ・やすふみ)1952年、新潟市生まれ。フォトグラファー。「文殊堂」主宰。





★閑話休題・・・倉阪鬼一郎『廻船料理なには屋/涙をふいて』・・・

「豈」の古参同人でもある倉阪鬼一郎『廻船料理なには屋/涙をふいて』(書下ろし/徳間時代小説文庫)、を店頭の100円均一で、おもわずも買った。最近といっても昨年だが、愚生の家の近くにオープンした古書店・銀裝堂(ぎんしょうどう、上掲・写真チラシ)なのだが、いまだに、店内は整理中とあり、表の通りに、小物、レコード、グッズなどすべてが100円で、代金は吊るしてある缶に入れるのである。いっこうに店主には会わない。通りかかりに、オッ、倉阪だ!と思って、買ったのだ。しかし、愚生は、これまでミステリ、ホラー小説家、エッセイスト、怖い俳句、怖い短歌などのアンソロジーの人としてしか認識していなかったのだが、この文庫本の巻末に「倉阪鬼一郎 時代小説 著作リスト」が載っていて、それによると、本作『涙をふいて』は、記念すべき80冊目の本であった。刊行日が2018年11月・徳間書店とあるから、すでに3年前、となると、もう、すでに彼の著作は、とうに100冊は超えているというわけだ。帯の背には「食欲を刺激する時代小説」とある。

(前略)
 ここで肴(さかな)が出た。
「お、これはいきなり凝ったものが出たね」
仁左衛門が笑みを浮かべて覗(のぞ)きこんだのは、早春の恵みの蕗(ふき)の薹(とう)の田楽(でんがく)だった。
「がくを開いて、そっちのほうから油に入れたったら、ぱっと花みたいに開いてくれまんのや」
新吉が身ぶりをまじえて言った。
「その花の上に田楽味噌をちょっとのせたわけか。小粋な料理だね」
富田屋のあるじはそう言って、珍しい蕗の薹の田楽を口に運んだ。
さくっとした噛み味が嬉しいひと品だ。 (以下略)


 倉阪鬼一郎(くらさか・きいちろう) 1960年、三重県生まれ。



     撮影・鈴木純一「今日からは花見て過ごそ亡き母と」↑


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