2018年1月23日火曜日

番場弘「倒木を沈めて澄めり神の池」(「パピルス」創刊号)・・



「パピルス」創刊号(パピルス俳句会)、代表・坂本宮尾の「創刊のことばー句と文章を両輪として」は冒頭に以下のように宣言されている。

 〈過ぎてゆく時の美しい一瞬をことばで書きとめる〉このような目標を掲げて、パピルス俳句会が発足いたしました。俳句と文章の勉強会です。会員の多様な俳句観を尊重し、意見を交換し合い、個性を磨いていくことを目指しています。

かく述べる坂本宮尾は、「評伝 沢田はぎ女ー『ホトトギス』雑詠欄の女性初巻頭」を書いている。それには、竹下しづの女が「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)で大正九年八月号「ホトトギス」女性初の巻頭となったと書かれたりしているが、じつは初巻頭は、
 
 正確には、これより前に沢田はぎ女が、明治四十二年三月号で巻頭を飾った。はぎ女の句は〈地の底に釣瓶の音や冬籠〉。これが文字通り最初の女性による「ホトトギス」雑詠巻頭である。

と明らかにしている。しかも当時の雑詠欄の投句数は一人一回五十句であったという。兼題を含む自由題が一般的であったが、

 雑詠欄に投句を募ったのは、明治四十一年十月号である。虚子選の雑詠欄は、当初は目立たない企画であった。投句は一人一回五十句以下となっていて、その数の多さに驚くが、それほど大勢が投句することを見込んではいなかったのであろう。ちなみに当時の課題句の場合は一人十句であった。

 
とも記している。そのはぎ女は、久女と同じ明治23年生まれ、満十六歳で嫁ぎ、夫のすすめで俳句を始めたが、夫の要請で俳句を辞め、世間の風当たりで、育児と家事のために、二十歳で自ら筆を折ったという。一読あれ。
 その他の記事は、杉井和子「ゆるり文学散歩ー高田馬場・早稲田を歩く」、番場弘「山の歳時記ー乗鞍岳山行」など。
ともあれ、特別作品の中から一人一句を挙げておこう。

    震洋は、太平洋戦争末期に日本海軍が開発せし特攻艇。奄美群島加計呂麻島呑ノ浦に艇庫跡残る。
  浜木綿は実にかばかりの特攻艇      坂本宮尾
  パンダ舎に消火器くくり冬に入る     紅林照代
  冬の濤まぶしき高さもて散りぬ      嶋 玲子
  角立てて武張りてゐたり檀の実     小宮山政子
  終りはあるわかつてゐる冬日さす     栗島 弘



           撮影・葛城綾呂↑











う。

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