2018年1月30日火曜日
平田薫「海は海だが南天があかい」(「つぐみ」NO,175)・・・
「つぐみ」NO.175(2018.1.2月号)、ブログタイトルにした句は特別作品からのもの。他には「俳句交流」で、岸本マチ子作品「年の暮」7句。また、各同人諸氏は俳句7句+ミニエッセイ23名。連載は、川柳人・広瀬ちえみ「風のあんない(71)ーわたしの好きな句」で、その後段に、
蒟蒻と呼ばれてどうもごめんなさい 小林苑を
川柳人も大喜びしそうな作品である。けろっとして返す「ごめんなさい」。ええ、そんじょそこらの蒟蒻よ!でも蒟蒻を楽しんでいるの、という気持ちが表れている。
とあって、愚生には手のだせない句ながら、このような句はこうして読むのかと眼を開かれた。それと、もうひとつは、なんと言っても外山一機「歩行の俳句史(1)-高浜虚子の『歩く』」を興味深く読んだ。これまでの外山一幾とは違う文体が選ばれているように愚生には思えた。文体とは思考である。その筆致には説得力がある。ただ、「歩く」という一見何でもないような行為が、時代によっても、いやむしろ個人においては年令の在り様を強く受けることがあるのではないかという経験的な要素が大きいように思う。
話は飛ぶが、「つぐみ」の同人・谷佳紀は、100キロマラソンなどウルトラマラソンのベテランでもある。走るという行為においても、その様々な有り様を体得していると思われる(身体感覚として)。その意味では、外山一が末尾に記していいたことについて、愚生は、明確な答えを有してはいないが、小山一幾が生を重ねて、無事に虚子の年齢に到達した頃に、もう一度、その歩くという「虚子の散歩」についての考察を披歴してもらいたい、という興味が湧いたのである(残念ながら、愚生はそれを読むことはかなわないだろうが)。その結びには以下のように記されている。
僕にとってなにより不思議だったのは、鎌倉から東京まで毎日のように電車で通勤する生活を送りつつ、その一方では、-とりわけその晩年においてーごく狭い範囲を長時間にわたって何往復もするというような散歩を飽きもせずに続けている虚子の、一見ちくはぐにに見える身体感覚であった。しかし、インゴルドの言にならえば、虚子の散歩とは急速に近代化の進む日本社会にあって喪失せざるをえなかった自らの歩行という身振りの軌跡ーラインーを回復する営みであったように見えてくるのである。
ともあれ、この度、「豈」同人のわたなべ柊が加わったとあったので、まずは贔屓しての句を、そして幾人かの方の句を挙げておこう。
ウニャニャンと春はけぼの眠り猫 わたなべ柊
底までと冬の旅より帰らない 岸本マチ子
晩秋の空のたっぷりもらいましょう 谷 佳紀
この紙に裏も表もなくて冬 津野岳陽
ひいらぎの花日没にまだ少しある 津波古江津
結び目の猫眠る冬の円環 夏目るんり
あんなにたくさん提灯を吊り秋の風 西野洋司
昨日からずっと泣いている短日 蓮沼明子
木から木へひよどりずっと雨である 平田 薫
昆布巻のほぼ真ん中に邪心あり らふ亜沙弥
寒雷や逆さ睫の浮世絵師 有田莉多
牢から見る屋根越し空の海青し 安藤 靖
介護車に落ちない汚れ年惜しむ いつきたかこ
漂泊するばかり故郷というかたち 伊那 宏
漁火の島陰に入る時雨かな 入江 優
胸中の足が折れても跳ぶバッタ 鬼形瑞枝
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