2019年5月6日月曜日
今井豊「言葉みな春をあざむく波頭」(「いぶき」第4号より)・・
「いぶき」第4号(いぶき俳句会)、本誌広告に、将来開設の「私設図書館」の蔵書・資料として【句集・俳誌などの寄贈のお願い】が出ている。開設は4年以上先のことになるというが、すでにかなりの資料が寄贈されているらしい。それに関連しているのかも知れないが、今井豊連載「句集逍遥 私の本棚から」は、毎回楽しみに読ませていただいている。今、第4回は、「栗生楽泉園俳句會・大野林火編『火山翳』(近藤書店・昭和三十年十二月刊)である。今井豊は
栗生楽泉園は群馬県吾妻郡草津町にある旧ハンセン病患者の国立療養所である。現在でも百八十人弱の旧ハンセン病患者の方たちが生活されていると聞く。(中略)合同句集『火山翳』は「ひやまかげ」とふりがなが振られている。「序」を国立療養所栗生楽泉園長の矢嶋良一が記し、「あとがき」を編者である大野林火が、「刊行に際して」を高原俳句会 村越化石が記している。(中略)
ここには四十四名(故人を含む)の俳句が掲載されている。三句しか載っていない人から七十句を越える句が掲載されている人まで様々である。
と述べている。大野林火の「あとがき」には、
化石君は嘗て私に「最後の編者の覺悟で作句してゐます」と語つたが、おそらくこの覺悟は高原俳句會全員の思ひであろう。今日、これだけの覺悟で俳句にのぞんでゐるものが、どれだけあるであらうか。世の隅で詠まれたこれらの切々たる聲が一人でも多くの人々の耳に達することを望んでやまない。
癩者の俳句として読むのではなく、すべては一表現者としての俳句である。(中略)
これら作品は特異な環境から詠はれてゐるとはいへ、根底は人間と人間の触れあひのふかさを願つてゐるのである。それでなくてはその特異さが眼をひくだけで、われわれの心に沁み込む筈がない。
とある。その中の村越化石はのちに俳人協会賞、詩歌文学館賞など、また1983年には蛇笏賞を受賞している。大野林火は「濱」を主宰し、林火没後は、松崎鉄之介が主宰を継承した。愚生は、最晩年の松崎鉄之介の自宅を訪ねたことがあるが、その折、村越化石が句を送ってくる間は「濱」は終刊しない、続けると言っていた。そしてその通りに、化石が2014年の春に没すると、林火もその夏に、すぐに亡くなり、「濱」は終刊したのだった。二人の師であった林火は、小説の北条民雄、短歌の明石海人、俳句の村越化石をハンセン病文学の三本柱と言ったが、化石のみが無菌になったのち、全盲になりながら長い歳月を生きた。化石の特色はそこにある、と言ったという。
孫引きになるが、いくつかの句を挙げておこう。
癩は吾が障害の枷麥黒穂 後藤一朗
除夜の湯に肌触れあへり生くるべし 村越化石
父の死に行けぬ癩の身朧行く 佐藤敬子
盲ひたる友に読みやる良夜かな 川村五郎
気管切開手術
今生の夕日をわたる四十雀 浅香甲陽
雁行くも帰心はすでに失へり 白井春星子
切らむとす黒髪匂ふ秋の日に 菅賀野たか子
癩の柩きしませ置くや冬畳 佐藤母杖
ほむら立つ夜の大焚火癩なくせ 竹村のぼる
百日紅癩故入籍求めもせず 白井米子
種芋を割るや癩者は子を持てず 山村よし子
春逝くや舌もてひたに読む聖書 山本よ志朗
最後に本誌「いぶき」代表作品と特別作品から各一句を挙げておきたい。
亀鳴くや妻とふたりで歩くときも 中岡毅雄
時間よりひかり引き出す枯葎 今井 豊
鳥帰り淡海一壺まさをなり 三枝桂子
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