2019年5月12日日曜日
榎並潤子「鬼でなく哀しきものの煤払う」(「Shinado」27号より)・・
「Shinado」27号(編集・林信弘・2019年4月)、編集後記に、
◆シナドが27号に漕ぎつけた。2001年からこの5人のメンバーで、19年かけての足取りです。(中略)
◆しかし、しかし、実際問題、わが̪̪シナドはご覧のように見事に(自賛)27号に漕ぎつけました。皆さま次号でまたお会いできますことを!
「シナド」は「詩など」か、詩編が中心? 5人のメンバーとは、榎並潤子・小松あや子・中村明美・林信弘・森泉エリカ。編集人が昭和20年生まれらしいから、メンバーが変わらずにここまできたということは、なかなかのいい関係性だからこそだろう。愚生は俳人だから、句を中心に以下に取り上げるが、まずは、シナド編集人ともども、今後つつがなく過ごされ、メンバーが欠けることなく、精一杯続いて欲しいと思う。
機関車の闇に潜んだ子の素足 潤子
くちなしの葉裏の卵雨激し
夕しぐれ蛙の絵本とピアノ曲
土砂入る辺野古の呻き寒風に
母を背に騎馬戦のごと大晦日
電線に縛られる街春一番
ブログタイトルにした「鬼でなく」の句には、「玄関のナマハゲに」の前書が付されている。そして、「秋愁」のエッセイには、
(前略)そうだ、戦争の責任をとらない国だもの、いまだにあの原発事故の責任をとろうともしない。戦争の道をひた走ったように、金儲けのために自然破壊する国家の暴力を止められない。
と書かれてある。あと一人、短い数行のものをあげておこう。
こちらあけみ
中村明美
○月○日
歩行訓練が始まる。赤ん坊でも、もう少しましに歩くだろう。痛いのだか重いのだか、痒いのだか、夢の中を歩いている感覚。内田百閒を読む。どうも既視感がある。このとらえようのない感覚。そうだ、私の足だ、と思い当たる。
撮影・葛城綾呂 ハナニラ↑
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