2019年5月7日火曜日

「ふりむけば八十年後や夕櫻」(「戛戛」第114号・各務麗至「八十年後の夕櫻」より)・・



 各務麗至・小説「八十年後の夕櫻」(詭激時代社・「戛戛」114号より)、ブログタイトルにした「ふりむけば八十年後や夕櫻」の句は小説中に配されている俳句で、他に「長生す咎める人も無き餘生」や、「なのはなや天あをあをとなにもなし」の句もある。「なのはなや」の句には、

ーー「何もなしと」書いたら、いつぱいあるんだ」といふ反對の言葉も浮かぶねえ。色即是空空即是色の世界なんね・・・などと、その時、賢一の句を初めて母は褒めるやうな言ひ方をしてくれたのだつた。

 と、語りが挿入されている。愚生は小説について云々する術を何も持ち合わせてはいないが、丁寧に書かれた小説であり、思わず胸が熱くなる場面などがある。その因は、たぶん、各務麗至「あとがき」の以下の部分を読むと分かるのだが、その書く姿勢がもたらしてくれているように思える。
 
  (前略)それはある文学講演会の合間で、お近づきになった方々と立ち話になり、私や私の歴史的仮名遣いの小説について聞かれてだが。--理解者は百人に一人くらいでもいれば、と、そう思うとの弱音に、
ーー千人に一人、いやいや万人に一人あるかないでしょう。
でも、その一人あればこその始まりですから、と激励してくれた編集人がおられた。
そういう人たちに救われて、
そういう人たちと真剣に向き合おうとして、今なお私は意識して作品の完成度を上げたく格闘したり、今なお謙虚に書き続けていられるのかも知れないそんな幸運を思っている。

 ともあれ、俳人の愚生は「ふりむけば」の挿入句に、野狐禅を称した永田耕衣の「少年や六十年後の春の如し」を思ったりした。




★閑話休題・・山内将史「撫でまはす鸚鵡の胸は山河かな」(「山猫便り/二〇一九年五月4日)


 各務麗至の小説の挿入句に永田耕衣を思ったのであれば、山内将史の句の「山河かな」には当然と言えば当然のように、句の趣は違うものの、これには耕衣の「後ろにも髪脱け落つる山河かな」を想起する。何しろ山内将史は、「琴座」同人、永田耕衣晩年の弟子の一人であった。「山猫便り」には、

  (前略) 左足のアキレス腱とふくらはぎが痺れて痛くなった。座骨神経痛の本を読み鎮痛消炎血行促進効果がある貼薬を貼りしゃがんで立つ運動をし半身浴をして二ヶ月程で足を引きづらなくても歩けるよになった。和式便所にしゃがむ姿勢ができなくなっていたのに驚いた。
 今泉康弘の評論「諧謔と無ー永田耕衣における禅」(「円錐」に連載中)は面白い。「吹毛用了須磨」(『景徳伝灯録』)など知らなかった。

 とあった。御身大切にご自愛を祈念する。


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