1986年4月27日↑
二十七日、大岡昇平『成城だよりⅢ』楽しく、ときに痛快。中村真一郎『夢のなかへの旅』愚作、途中放棄。
批評の怖さは終焉のないことだ。既成史観が論理の増殖を害せぬやう。昨夜の高橋悠治の曲、譜面見たしと思ふ。
影の女の今日的な脱臼であり 阿部鬼九男
*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・
4月27日(火)・・・晴
『成城だよりⅢ』(文藝春秋)は、「文學界」1985年3月から86年2月号までの連載をまとめた公開日誌風エッセイ(批評は辛口、なかなか苛烈である)。4月1日に始まる8回(8日分)の見出しは「4 批評の季節」。
『夢のなかへの旅』(思潮社)は「一九八四年「すばる」誌上に三回にわたって、分載された」(あとがき)で中村真一郎は「小説の中でより、こうした抒情的な物語のなかで、より親密に自分自身の秘かな観念や映像と戯れることができて、幸福である」と述べているが・・・。
高橋悠治(1938年~)は、作曲家・ピア二スト。高橋アキは実妹。1978年、タイの抵抗歌を日本に紹介するために「水牛楽団」を結成、「山谷越冬闘争支援集会」「金大中らに自由を!新宿コンサート」などで演奏。1983年以後は、コンピュータとデジタル・サンプラーによる作曲、ライブなど即興演奏をおこなった。鬼九男がわざわざ譜面を見たいと思った曲は、いったい何の曲を聞いたのだろう。
句の「影の女」とは、もしかしたら逆説で、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「影のない女」が、発想の元にあったのかも知れない。
余計なことなれど、本日、本ブログのこれまでのアクセス数の合計が40万を超えた。日日の積み重ねもなかなか馬鹿にできない。筑紫磐井に勧められて、ブログ俳句新空間の庇を借りて始めたのが約6年半前のことである。
愛が溶かせる石の男や影なき春 大井恒行
撮影・芽夢野うのき「春嵐カモメ吹かるる令和岸」↑
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