2021年4月25日日曜日

阿部青鞋「肉体のつめたきところ夏に入る」(『阿部青鞋俳句全集』より)・・・


 

『阿部青草鞋俳句全集』(暁光堂俳句文庫)、目次裏の凡例には、

一、本俳句全集では、阿部青鞋(あべ・せいあい』の句業全体を見渡すことを目的として、既刊句集のうち左記の句集における青鞋の俳句、歌及び文章を収録した。

『武蔵野抄』  昭和一六年 教材社(『現代名句集』より

『句壺抄』   昭和三二年 三元社

『阿部青鞋集』 昭和四一年 八幡船社

『花門集』   昭和四三年 八幡船社

『樹皮』    昭和四三年 瓶社

『続・火門集』 昭和五二年 八幡船社

『霞ヶ浦春秋』 昭和五四年 私家版

『ひとるたま』 昭和五八年 現代俳句協会   (中略)

三、補遺として『ひとるたま』以降の「俳句」「俳句研究」に収録された作品を収録した。

四、自選句集『火門私抄』(昭和五七年・手帖社)については、他句集からの選集であるため、本俳句全集での収録は割愛した。  (以下略)


 とある。本著には頒価も連絡先も記されていない、個人の方の労作だと思うが、印刷・製本に、「製本直送.com」とあるので、オンデマンド出版の類いなのかもしれない。その他、「俳諧歌・随想」「略年譜」がある。体裁はB六判並製本380頁、手元に置き、阿部青鞋のおおよそを知るには、有り難い書である。ちなみに編集・発行所は大穂汽水(暁光堂)とある。ここでは、青鞋の随想のなかの一節を以下に引用しておこう。


 俳句は或る精神が十七字になるかならぬかではなく、それを十七字にするかしないかである。そういう最後に俳句がある。

 文学や詩で俳句をつくるのではなく、俳句で文学や詩をつくるのである。いわゆる文学や詩にならない文学や詩を創るのである。又、俳句の優位性は詩であることではない。俳句であることだ。


 ともあれ、刊行すみの青鞋句集以後、これまで句の収録のなかった「補遺」より、いくつかを以下に挙げておきたい。


    動かせばなるほど指は霧になる      青鞋

    金魚屋のなかの多くの水を見る

    乱暴に半分だけが紅き桃

    穴釣りのかりそめに見る右ひだり

    にはとりの悲しきにぎりこぶしかな

    元朝のねりはみがきをしぼりだす

    にんげんの肉体夏に入りにけり

    元日の午前はいつか午後になり

    ひぐらしのどれかおくれて鳴き終る

    下向いてをれば満月のにほひがする

    空蟬やわが国籍は地にあらず


 阿部青鞋(あべ・せいあい) 1914年11月7日~1989年2月5日 享年74.東京市渋谷区生まれ。別号・羽音(うおん)。



      撮影・芽夢野うのき「俄か朝型にわか彩りパンジーも」↑ 

0 件のコメント:

コメントを投稿