1986年4月29日↑
二十九日、牧羊社〈精鋭句集シリーズ〉の出版記念会(四谷)胃痛み、二次会欠席。ソ連の原子力発電所の事故報ず。
“吊し“の件にて、参考のため、漱石の『猫』読み直す。面白き説明。
抽出に溺るるものを沓手鳥 阿部鬼九男
*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・
4月29日(木)・・・午前、細雨
(四谷)とあるのは、四ッ谷駅麹町口前の主婦会館のこと。愚生も参加していたのだが、鬼九男と会った記憶がない。精鋭句集シリーズは、当時20~30代の俳人たち、確か12名で、いわゆる前衛の夏石番矢『メトロポリティック』も入集していた。現在は、このシリーズの皆さんは、俳壇の重鎮の域に達しておられるから、編集者(現・ふらんす堂 山岡喜美子)の慧眼、見事だと思う。
またまた“吊し“の件だが、『猫』は『吾輩は猫である』。その第3話に、苦沙弥の家で寒月君が来て物理学の演説の練習に、超俗凡俗な「首吊りの力学」を二人の女が同距離に釣られると仮定しての、数式を表わし、それにかかる重力を説明する、その演説の練習を、妻君とその主人、主人は「非常に丁寧な撫で方」で吾輩の頭を撫でながら、各国の古代からの処刑にまつわる絞殺の方法について、あれこれ会話を交わしている。鬼九男は、この場面を再読しているのだ。
句の沓手鳥(くつてどり)はホトトギスの異称。
不如帰チェルノブイリにみまかれる 大井恒行
0 件のコメント:
コメントを投稿