2018年8月27日月曜日

小川双々子「くちなはのゆきかへりはしだてを曇りて」(「韻」28号より)・・・



「韻」28号(韻俳句会)に、武馬久仁裕が「視覚詩として俳句」を論じている。少し難しいところのある論なので、興味ある方は、是非、本誌を手に取って読んでいただきたい。 愚生はといえば、筑紫磐井著『季語は生きているー季題・季語の戦略ー』(実業公報社)を参考にしながら、武馬久仁裕が、

 (前略)一つの特定の季題が持つはずの絶対の典型的「本質的類想句」と呼んでいるものに他ならない。「視覚詩としても俳句」は、筑紫が「本質的類想句」を定義していう「いかなる描写もない」「描写を超越した」俳句なのである。あるのは言葉による描写ではなく、俳句の姿形による描写なのである。筑紫が「本質的類想句」として挙げている後藤夜半の「瀧の上に水現はれて落ちにけり」なども基本的に、俳句の姿形によって滝の描写がなされていると言える。これは「視覚詩としての俳句」なのである。 
(中略)
 視覚詩としての俳句は、先に述べたように句の姿形と内容が過不足なく一致していることにある。

と述べているなかに、ブログタイトルにした小川双々子の句が例句としてあったり、結びに白木忠「一月の竹のまつすぐなるを泣き」を挙げていて(もちろん飯田龍太の「一月の川一月の谷」も挙げているが)、その俳名とその人への懐かしさに駆られているのである。
 ともあれ、同誌同号の一人一句を以下に挙げておこう。

  囀りや見るとはなしに非常口      片山洋子
  執拗に苺をつぶすセヴンティーン    金子ユリ
  いさかひはひとのなすことさるすべり  川本利範
  十薬の花の一途に迎へられ       後藤昌治
  夏ひばりあぽかりぷすを予言せり    佐々木敏
  どの時計もすべて狂いし母の夏     谷口智子
  曖昧な思惟なり西日くづれゐて     千田 敏
  イヤホンのひと気づかずに夏景色   千葉みずほ
  うつつ世を千客万来さくら踏み    寺島たかえ
  透明になりたき月日さくら貝     永井江美子
  畜生に風格のある弥生かな        廣島佑亮
  春潮へ手放すものを思いをり      森千恵子
  純粋な蟻来て墜つる蟻地獄       山本左門
  折り目から地図裂けてをり梅雨の冷え 依田美代子
  この大きあぢさゐの毬つくは誰ぞ   米山久美子
  ぼうたんの崩れて影の行きどころ    渡邊淳子
  剥すことなき貼紙やこども日    児嶋ほけきよ
  芒種かな天のあたまの翳りつつ    小笠原靖和



★閑話休題・・

 ところで、武馬久仁裕は、一昨年12月から、シニア対象の「黎明俳壇」(黎明書房)を発行している。先日、第3号を発行し、句の募集は第10回を迎えるという。B5版大ぶりの写真入り、なかなか読ませるエッセイあり、シニアには読みやすい、地域の方々の交流誌の趣もある雑誌である。武馬久仁裕の趣味、奮闘ぶりが伺える。
 その特選句の三回を以下に紹介しておこう。

  碧南で生まれ碧南の大工雪のなか 碧南市 杉浦富三(第7回)
  節分草咲く奥三河までの軌道   西尾市 本多映子(第8回)
  散るさくら見あげる兵の碑の高さ 安城市 岡田武敏(第9回)



          撮影・葛城綾呂 アゲハ羽化失敗↑

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