2018年8月6日月曜日

島田牙城「みづうみを出でゆくみづの灼けゐたり」(「しばかぶれ」第二集)・・



 「しばかぶれ」第二集(「しばかぶれ」、発売・邑書林)、は「特集・島田牙城」である。島田牙城特別作品三十句、各同人による牙城句集評に加えて、島田牙城インタビューと、細密を極める評論「島田牙城青の時代」はいずれも田中惣一郎。また島田牙城百二十句選は堀下翔。島田牙城の現在まで寄ってきたる経歴とおおよその在り様は伺える牙城理解の必読の一本といっていい。
 インタビューは第一部「波多野爽波『青』により仲間と過した青春時代」、第二部は「上京、編集者時代様々な俳人、歌人との交流」。愚生にとっても思い出深いというか、愚生が京都に三年居た時期に、彼と擦れ違っていたのではないかという錯覚に陥った。それは「東雲」や三浦健龍「鷺」の名が出てきたせいであろう。愚生が京都にいたのは1967年から70年あたりまでだから、愚生よりかなり若い牙城に会っているはずはない。愚生が最初に、彼の名を記憶したのは、「俳句とエッセイ」の編集者・島田尋郎である。インタビューにも出てきたが、飯田龍太特集である。若かった愚生は、何かのお祝い企画だった飯田龍太について、龍太自身があまり触れられたくはない事情について記したせいだと思う。後に立腹していたと牙城から聞かされたことがある。愚生は、飯田龍太は一等好きな俳人であったが、その故に、龍太の作品について正直に書き過ぎてしまったのだ。思えば総合誌に愚生が書いた初めての批評文であった。
 以来、島田牙城には事あるごとにお世話になったり、危ない橋もわたってきたようにも思う。しかし、俳句の世界において編集者としての彼の仕事ぶりには、いつも感心させられている。初期の楸邨全集や波多野爽波全集や、また、セレクションの俳人・歌人・川柳の仕事などは彼無くして実現しなかった企画であり、そうした苦難を志としていつも彼は引受けていたように思う。
 「しばかぶれ」は「里」の四十歳以下の同人が結集した同人誌なのだという。奥付前の「編集後記」とおぼしきところに編集長・堀下翔は以下のように記している。

(前略)俳人としての姿は「里」の内部にいないとなかなか見えません。僕は牙城さんの句が大好きなので、この特集を作りました。また、邑書林設立以前の活動を記録する意味でインタビューも敢行しました。

 牙城、もって瞑すべし、羨ましいというべきか。今後も身体をとにかく大切にして志の実現のために奮闘、活躍を祈りたい。ともあれ、総力の同人諸兄姉の一人一句以下に挙げておきたい。

    噫、波多野爽波
  拾月に蟬を鳴かせて逝きたまふ       島田牙城
  寒雷や波のをはりは波頭          佐藤文香
  蜘蛛乗せていのちがかゆい指の腹      坂入菜月
  なきがらにして着膨れの爺なり       堀下 翔
  潮さわがし墓にはまなす咲いたらし    青山ゆりえ
  アルビノの天使アスパラガス剥きぬ     中山奈々
  彼んちのカレー三日目冬隣         川嶋健祐
  くちびるのびるに初音を取りこぼす     青本柚紀
  朝曇言語学者の理論に詩          脇坂拓海
  露草に脱ぐそのままの暮らしかな      青本瑞季
    ときどきなみだのごふ手拭(てぬぐひ) 周令
  まなかひに靡(なび)かふ水(みづ)も夏霞(なつがすみ)田中惣一郎



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