2018年8月1日水曜日

岸本尚毅「裕明の初盆なれば迎鐘(むかえがね)」(『自註現代俳句シリーズ・岸本尚毅集』)・・



『自註現代俳句シリーズ・12期27 岸本尚毅集』(俳人協会)、自選300句に自註をつけたものであるが、「あとがき」には、

 どのような場所、どんな状況で作ったかを覚えていない句がほとんどである。(中略)
句より先にその情景があったのか、それとも、自分の句を自ら一読者として読んで思い描いた情景を自註として述べたものなのか、そのあたりも曖昧である。 

という韜晦がなかなかだが、短い註には、岸本尚毅の作句の方法がよく伺えて好ましい。

 ブログタイトルに挙げた句は、(平成17年作)とさすがにはっきりしている。田中裕明享年45。年末にその訃に接したとき、愚生は、先に攝津幸彦を失い、今また田中裕明を失ったと心底思った。

  なきがらに髭のなかりし木の実かな     『健啖』

攝津幸彦の葬儀に遅れて参じた。出棺の直後であった。散会の後、故人のことを考えながら詠んだ句。

  猫じやらし棺の中は暗からん      『健啖』

前句と同様、攝津幸彦逝去に触発されての句。私は氏の一種とぼけた味わいに憧れる。その心が「猫じやらし」である。

 と自註されているが、愚生の記憶によると、出棺前には間に合っているはずだと思う。攝津幸彦の務めが現役だったこともあり、俳人よりもはるかに多い1000人近い参列者であった。そのなかで、痩身の岸本尚毅、ついで、秋田から安井浩司がこれも痩身をわずかに揺らしながら来られたことを記憶している。愚生は火葬場に同行したので、二人の姿をみとめたのは出棺前だったように思う。岸本尚毅には訃を直接知らせてなかったと思うので、訃報記事をみての参列だったと、感謝した思いを覚えている。何しろ、当時は、攝津幸彦はいわゆる俳壇的にはほぼ無名に近かった。もっとも、攝津幸彦も愚生も日録をつける習慣もなく、自分の作った句さえ忘れる始末だったから、信憑性はうたがわしいが・・。ともあれ、集中いくつかの句のみになるが、以下に挙げておこう(掲載句は総ルビだが、略す)。

   手をつけて海のつめたき桜かな     尚毅
   パンジーは摘む花ならず月のぼる
   萩桔梗また萩桔梗とぼとぼと
   波にのる一つの鴨も消ゆるなく
   秋晴の押し包みたる部屋暗し
   夏楽し蟻の頭を蟻が踏み 
   彼岸花糸を垂らして終りけり
   竈猫その手をとつて話しかけ

 余談だが、愚生の著には146、147と150、151ページが落丁である。はてどのような句が入っているのか、これも楽しみのひとつ。攝津幸彦もそうだったが、こうした落丁本をけっこう楽しみに愛蔵していた。

◆もう一冊、同時刊行の『岸本尚毅・宇井十間 相互批評の試み』(ふらんす堂)は、「俳句」2012年1月号から12月号まで、連載されたものを一本にまとめたもの。連載中も時折は眼を通していたが、こうして一本になると、より鮮明に両者の視点や相違が浮き彫りにされて面白い。若い宇井十間が、いささか苛立ちを隠せない様子で進行していくやりとりは興味深い。ただ、編集部の要請なのか、書簡のテーマが、いかにも俳句的?で、もう少し何とかしようがあったのではないかと思うのは愚生ばかりであろうか。ただ一つのテーマを、えんえんと掘り下げていくということも両者であれば可能だったようにも思うが・・惜しい。「12、一様性から多様性へ(2)」の結びに宇井十間が記したことを以下に引用しておこう。

  すでに述べたように、私は俳句を思想詩として再定義してみたいと考えています。しかし、思想性という言葉がかつてのように「社会性」や「人間(の探求)」を意味していた(意味せざるをえなかった)不幸な時代はもう過去のことです。現代俳句という実験が今後、俳句そのものの再定義を含めて展開していくであろうことは、この連載でのやりとりをおさらいするまでもなく明らかでしょう。  宇井十間




        撮影・葛城綾呂 アゲハ幼虫・青虫に(産卵11日目)↑
 

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