2018年8月16日木曜日

柳本々々「信用をしてからさっと手をあげる」(「川柳スパイラル」第3号)・・



 「川柳スパイラル」第3号(編集発行人・小池正博)の特集は「現代川柳にアクセスしよう」。愚生のような門外漢には、川柳の歴史的なおおまかな流れといい、その在り様(小池正博「五つの現代川柳」)、また、飯島章友「現代川柳の発見」では、その啓蒙的な案内に随分助けられる気がする。川合大祐「『二次の彼方に』ー前提を超えて」も興味深い。大会や句会の方法も、いわゆる俳句の句会とちがうダイナミズム、「選ばれる」ことを「抜かれる」と言ったり、評する言語の違いもあるようである。このあたりの川柳の選の時代的な変遷については小池正博がよく説明している。安福望と柳本々々の対談「川柳を描く。と何かいいことあんですか?」では、柳本は、

 (前略)川柳ってゲリラ的でアナーキーでカオスなところがいいとおもうから、いろんな渦をつくりながら、やっていってもいいんじゃないかとおもって、で、もちろん、やだっていうひともいますね。で、そういうやだもふくめてやってくのがいいなあとおもうんですよね。うず、で。小池さんはときどき、やぎもとさんのいうことに不満です。っていうんだけれど、ぼくはそういうそれ不満ですとかそれありかともといろんな声がうずまきながら、実作がおこなわれていくのがいいなあとおもって。

 と述べているが、たしか「オルガン」でも、柳本々々は、座談の際などの文章表記にもずいぶん平仮名を多用しているので、たぶん、テープ起こしなどされるスタッフは、著者校正の折りに、漢字で書かれた部分、たとえば「作って」を「つくって」などのように、改めて字を開いているのではないかと想像している。この特色は、現在の若い世代に共通する意識的なものだと思うのだが、いつかその理由を窺ってみたいとも思う。そこに現在という時代の底にある愚生にはうかがい知れぬ心性を表わしているような気がするから・・・。インターネットでは「川柳スープレックス」のサイトがおススメらしい(飯島章友)。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

  ろぼっとのやきそばいがい魂だ        川合大祐
  スコップをざくりと入れる地平線       一戸涼子
  ふと我に返る自動改札機           悠とし子
  パイプ椅子二つ 翼の重みだな        石田柊馬
  曇天だったね垂れ幕のテレパシー       小池正博
  あしぎぬの空のいちめんのいなびかり     畑 美樹
  コミュニケーションが苦手な石        柳本々々
  アンケート出したらバスに乗せられる     浪越靖政
  落ちた実の踏まれるまでを高貴という     兵頭全郎
  下線部の意味を歪めて書きなさい       湊 圭史
  その茎を束ねるように抱きしめる      清水かおり
  継ぐ者の途絶えた「流し川柳」だ       飯島章友



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