2018年8月24日金曜日

望月至高「犠牲者へ椀一杯の春光を」(「奔」創刊号)・・



 「奔(ほん)」創刊号(編集・発行人 望月至高)、夏冬の年2回刊。同人は、望月至高と大橋愛由等の二人だという。本号の招待作家(俳句作品)は愚生と江里昭彦。個人誌だというだけあって、その他は、望月至高の評論、エッセイなどで固められている。その目次を記してみるだけで、精力的にかつ幅広く論じていることが窺える。望月至高は鈴木六林男「花曜」の晩年の弟子で、没後は、同門の出口善子「六曜」に拠っていたが、その同人も辞して、もはや、自らの書きたいことを書きつけるべく「奔」を創刊したのだ、と思う。
 その目次は、「虹の彼方へ 大道寺将司を偲ぶ」、「映画『三里塚のイカロス』(代島治彦監督)鑑賞」、「是枝裕和監督『万引き家族』は漂流する現代家族の真実を問う」、「『俳句弾圧不忘の碑』除幕式」、「福井紳一著『羽田の記憶』の史的重層性ー一九七〇年一〇月八日山崎博昭の死ー」、「治水は先人に学べー暴れ川だった富士川にダムはない」、「時空を超える『評伝 島成郎(しげお)』」。最後の佐藤幹夫著『評伝 島成郎』(筑摩書房)への批評論文は、「飢餓陣営」47号(1918年夏号)に執筆掲載されたものの再録である。



 その号の「飢餓陣営」は、特集「島成郎の再考」を組んでいて、望月至高の他にも、南木佳士、松下竜一の書評の再録や水島英己「世界をよこせ『評伝 島成郎の世界」、内海新祐「島成郎のもう一つの闘い方 臨床精神科医として」なども掲載している。
 「奔」は、望月至高の志向がよく伺える雑誌なのだが、ここでは、「虹の彼方へ 大道寺将司を偲ぶ」に、本誌の創刊に関わる部分が記されていたので、引用しておこう。

(前略)かっこつけるわけではないが表現者としての、思想的矜持とでもいうものを取り戻してみようと考えた。
 「たかが俳句 されど俳句」、などという言葉を聞くが、下句の「されど俳句」は、結局俳人の自己慰撫の口吻にすぎないのだ。表現形式としての俳句依存中毒はこれでお終いにしよう。大道寺にあってわたしにないもの、それを痛切に思うのだった。
 大道寺の『最終獄中通信 大道寺将司』(河出書房新社)には、獄中にあってもなお必死に時々の政治社会への発言を刻んでいる。俳人ではなく表現者たらんとすれば、世界の総体的ビジョンを持たなければ作家ではない。また自己の創作について、歴史的原理的に何であるのかを論理的に説明できないなら、その作者は職人であっても作家ではない。わたしが、大道寺の生涯にわたる全重量をかけた獄中日誌から受け取ったものは、「思想者」としての矜持とでもいうべきものであった。

 されど俳句については、愚生が思うに、職人であっても思想家はいそうな気がするし、また愚生は若き日に、愚かにも、慰藉としての俳句形式を選んでいたのだから、自分には、いささか耳の痛い話でもある。望月至高、いまどき稀有な俳人にして思想家。楽しみな道行なのである。ともあれ、以下に、同誌掲載の一人一句を挙げておこう。

  脳をでて戻らぬ翼(はね)が陽炎よ        江里昭彦
  越境の蜘蛛の餌として生きてみる        大橋愛由等
  盲亀浮く浮木と別に花筏             望月至高
  狐のかんざし素人戦(しろうといくさ)つかまつる 大井恒行



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