2018年8月31日金曜日

田中裕明「爽やかに俳句の神に愛されて」(『田中裕明の想い出』より)・・



 四ッ谷龍『田中裕明の想い出』(ふらんす堂)、四ツ谷龍の書いたものについては、「むしめがね」の寄贈も受けてきたこともあり、ほぼ、読んできたつもりだが、こうして一本まとめられた、田中裕明に関する論のほんどは、記憶力の弱い愚生には、やはり忘却の彼方で、新たに出会った感じがすほどである。
 かつて、愚生が若き日、たしか四ツ谷龍と亡くなれた冬野虹のお二人に、渋谷東急インでインタビューを受けた記憶がある。喋ったことは、全く覚えていない。他にも、不思議なことはあるもので、関西での何かの会の翌日、神戸の街で偶然に四ッ谷龍・冬野虹と出会い、これから永田耕衣の元町句会に行くところだからと、誘われ、同行し、その句会にも参加した記憶だけがある。今では、どういう句を出し、どのような成績だったかは全く覚えていない。
 本書に収められた裕明論の巻末の初出をたどると、「俳句研究」1988年12月号のアンケート「今年の秀句ベスト5」がもっとも古い。その次は、愚生が編集していた「俳句空間」(1992年10月、弘栄堂書店)第21号への田中裕明『櫻姫譚』の書評である。その後は「俳句」2002年10月号の「取り合わせと俳句」に裕明の句に言及して、

  田中裕明の俳句は、余白を活用することによって、抽象的な虚の世界を作ることに成功している。彼の作品の中に、私は今日における取り合わせの新しい可能性を見出だすのである。

 と締めくくっている。本書では、改めて冒頭の「田中裕明の点睛ー句集『夜の客人』読後」にで、田中裕明の訃報が、森賀まり夫妻の年賀の辞「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事」(大伴家持)とともに、句集『夜の客人』が届けられたことを思い起させた。そしてその中の裕明句への出色の指摘は、句頭韻(上五・中七・下五それぞれの最初の一音、つまり三つの句頭のうち、二つ以上で同じ音を使う)という句法についてのものだった。
 もっとも、刺激的だったのは、第2章の「田中裕明『夜の形式』とは何か」(未発表)の論考であろう。現代俳句協会青年部主催の講演(2010年1月24日)の記録で、愚生は、それを聞いているのだが、改めて、その緻密さに驚いているところである。
 ともあれ、田中裕明は45歳で、攝津幸彦は49歳で亡くなった。ふたりとも大人の風貌、雰囲気ということでは共通していたように思う。ただ、句の表情は、裕明の方が静謐で清らかな、幸彦はいくぶん猥雑な印象を与えるのは、幸彦が、たぶん愚生と同世代という意味での、時代の呼吸を句に多く吸い込んでいたせいだろう。
 ともあれ、本書中より、田中裕明と四ッ谷龍の根津二人吟行句会の句を以下にすこし挙げておきたい。

   空蟬に風吹いてゐる谷中かな     裕明
   白砂に鳥の足あと日の盛
   腕冷えて滴りのその音を聞く
   茉莉に書き杏奴に書きぬ夜の秋
   草かげろふ口髭たかきデスマスク
   落花すぐ掃き寄せられぬ百日紅     
   虻の垣薮下道というを来て
   根津の裏道物影の淡々と
   母の掌に置く空蟬の巨きさよ
   ソーダ水地震研究所で笑う
   

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