川上弘美『わたしの好きな季語』(NHK出版)、どのページを開いて読んでもいい。おおむね見開き2ページの4分3ほどは季語にまつわるエッセイ、左ページの終わり近くに一句が配されている。読みやすいこともさることながら、川上弘美の語り口が快い。例えば、ブログタイトルにした山田耕司の十代と思しき句「雷が落ちてカレーの匂ひかな」には、
ときどき、わたしの読書には「フェアー」期間が訪れます。(中略)
今年(二〇一三年)は、春からどっぷり岡本綺堂(おかもときどう)フェアーとなりました。綺堂といえば、『半七捕物帳』。テレビでもおなじみの捕物帳ですが、岡本綺堂を読むのは、はじめてでした。ですから、いつもの「読み返しフェアー」ではなく、今年は「初読みフェアー」。(中略)
中に、江戸のころは、激しく突発的で、けれどすぐにあがるにわか雨が多かったのに、このごろの明治の夏はろくに雷も鳴らないなあ」という意味の言葉を半七親分が喋(しゃべ)る場面もありました。ヘぇ、江戸って、今の東京と同じような、あのスコールめいた雨がしょっちゅう降っていたのかと、驚きました。
雷が落ちてカレーの匂ひかな 山田耕司(やまだこうじ)
これは、現代俳人の作品。夏の夕刻のむっとした雨上がりの空気と、カレーの匂い。
思いつきそうで、なかなか思いつけない取り合わせに、はっとします。好奇心旺盛な半七親分が現代にやってきたら、案外カレーが大好物になったかもしれませんね。
というような、塩梅です。ちなみに以下は、掲載された句のみをいくつか挙げておきます。
木蓮や母の声音の若さ憂し 草間時彦
鈴虫を飼ひて死にゆくことも見る 古屋秀雄
死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む 金子兜太
鬱の日は鬱を愉しむかいつむり 鈴木鷹夫
せり・なずな 以下省略の粥を吹く 池田政子
川上弘美(かわかみ・ひろみ) 1958年、東京生まれ。
★閑話休題・・・北大路翼「横向きの人生リーチ宣言牌」(『みえない傷』)・・・
北大路翼第3句集『見えない傷』(春陽堂書店)、本書巻頭に記されている「あとがき」には、
(前略)それでも俳句を続けてゐるのはなぜだらうか。
創作とは、生を描くのではなく、死を描くことではないかと近頃思ひ始めた。
死が恐ろしいのは、死後のことを誰も教へてくれないからが。その意味で死を語らうとすることは創作である。後ろ向きに見える句が増えたが、気持ちは前を向いてゐる。積極的な死への参加だ。死と仲良くなることと換言してもいい。(中略)
できるだけ勝手に生きて勝手に死にたい。そのためには嫁も子供も要らない。よろこびもかなしみもせず、一人でのんびりと死ねたら最高だと思ふ。仲間は大事だけれど。
僕がいつぼのやうに死んでも、きつと納得して死んでますから騒がないで下さい。たまに思ひ出したら、この本をまた読んでもらへれば・・・
と、記されている。騒ぎはしませんよ。ご安心ください。ともあれ、集中より、追悼句に偏するかもしれないが、いくつかの句を挙げておこう。そういえば、もう10年以上にもなろうか。北大路翼と数人で、越前和紙の里に行き、上田みゆきとのライブ即興による墨絵と俳句のパフォーマンス。一泊二日の旅を共にしたことがあったなぁ・・。大翼(おおつばさ、その時、彼をこう呼んでいた)は、一日中、朝起きてから寝るまで呑んでいたが、酒にはめっぽう強い印象だった。
悼む渡辺隆夫
貰ひ煙草もこんな霞の鎌倉で 翼
共謀罪採決強行す
ひまはりに隠れて野糞するやうに
悼む金原まさ子
でで虫が永久の交尾を眼球で
悼むオグリキャップ
馬面の楸邨を追ひオグリの忌
石巻
ここまでが津波の高さ秋津群れ
鬱の句の系譜に我も稲の虫
悼む依田明倫
荒れに笑む雪沓の歩を逞しく
悼む星野仙一
書初めに今年も打倒巨人軍
老人を嫌ふ老人咳一つ
行き止まりすなはち雪の捨てどころ
悼む小島武夫
雪の中駆けてゆく手順かな
悼むさくらももこ
水平に星飛んでゆくまるこの忌
一匹だけ光らない〇〇〇●〇螢
投げつけるほどの重さのなきマフラー
北大路翼(きたおおじ・つばさ) 1978年、横浜市生まれ。
芽夢野うのき「悪夢のような一日を夢みて葱よごめん」↑
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