太田土男第5句集『草泊り』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、
(前略)嘗て草原の草刈りは、山に仮小屋を建て、寝泊りして
行った。それが草泊りである。民謡「刈干切唄」に唄われている。
星のことよく知る人と草泊り
に因んで『草泊り』とした。思えば、草原の研究に長く携わった。そんな思いも込めた。
とあった。集中に、
三渓園の砌、墓に寄る
鉄之介先生梅見に参りました
の句がある。松崎鉄之介の自宅は横浜三渓園の近くにあった。愚生は一度だけお邪魔したことがある。松崎鉄之介が大野林火「濱」から主宰を継承して、すでに晩年の頃である。暑い夏の日で、ざっくばらんにステテコ姿で迎えていただいた。もはや高齢であったがお元気で、毎日、家の近くを散歩していても、草木の姿は日々違う、それが句になると・・・。しかし、主宰業も大変だよ、事務所も引き払ったし、土地も売って、「濱」のために注ぎ込んできた。しかし、とにかく、村越化石が句を送ってくるあいだは「濱」を続ける、とおっしゃっていた。その話を聞いてから、しばらくして村越化石は亡くなり、「濱」も終刊した。太田土男については、随分前になるが、俳人九条の会の集いで、戦前の新興俳句弾圧事件よりも先に、弾圧された新興川柳の鶴彬について講演されたのを聞いたことがある。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
残されし鳥もあるべし鳥帰る 土男
秋雲や年輪にある凶作史
壺棺を抱きて泣きしや草の花
炉話の婆さまの口の裂けてきし
雑然とされど毅然と冬木立
雪解川暮らしの裏を流れけり
耕して石を拾ひて耕せり
流し雛その夜の星を仰ぎけり
貧困のかたちは変はり啄木忌
隠沼にけふの落花を加へけり
蛇衣脱ぐ結界をなせりけり
還らざるものに軍馬も草の花
太田土男(おおた・つちお) 1937年、神奈川県川崎生まれ。
芽夢野うのき「銀杏落葉振り向くまでを烏兎怱怱」↑
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