2021年1月25日月曜日

夏礼子「春の空きっと誰かが溺れます」(「戛戛」第124号)・・・

 

「戛戛」第124号(詭激時代社・第3次詭激時代通巻168号)、「戛戛」124号付録に「追想 和田吉史遺文」があり、夏礼子「出会いのつながり」がある。各務麗至の「覚書」によると、


 お二人が亡くなられて、もう何年になるだろう。和田プリント、と、聞けば、昭和後半から平成半ばにかけて、

 香川の中讃や西讃といわれる地方の文化文芸の印刷物の大半を担ってきた印刷所で、あの時代の香川の同人誌関係の人ならば、特別思い出したり忘れられない感慨深いものが過ぎるのではないだろうか。

 学校関係や福祉関係に及ぶ印刷物や文集など、その誠意と精確さから、一番にはその安価からだが私もその後家族ぐるみで懇意にして貰った一人だったから、(中略)

 いろいろな人たちとの交流を文章だけでなく現実に目の当たりにしていたから、随分多方面から重宝されていたように思っている。そしてそんな香川の文化の一翼を担っていたと言っても過言ではない和田さんご夫妻の事が浮かんだのは、

 やはり若い頃のお世話になってのお蔭が忘れられなかったのと、私の個人全集的精選集繋がりだと思ってしまう。(中略)

 今は殆んどが終刊しているが当時の和田プリントの同人誌関係への貢献は尋常ではなかったと思えるのである。(中略)

 決して忘れてはならないものを改めて示してくれた和田さんに、夏も私も、で・・・、感謝と追想の思いに手を合わせるだけであるが、

 あの、青き若きを育ててくれたような時代が確かにあったことが、幸運としか思えないような不思議な年齢になって今も書きつづけている。


 と記されている。また本誌には各務麗至「いいよりこの海」、「闇のなか」が収載されている。が、その「あとがき」には、


 今回—四、五十年前の初心の頃の作品で、特に読んでもらいたいのを編集しました。

時々過去の作品を出してきますが、歴史的仮名遣い正字旧漢字ですけれど、

書いた当時の本人も旧漢字や旧仮名遣いは知らないのですから難しいと思う必要はないのです。感覚でわかっていただければそれでいいのです。読めると思います。

 というのも、文章から自然に見えてくる思うままでいいのです。 


 とあった。ともあれ、ここでは、夏礼子の句「この道」から、いくつかの句を挙げておきたい。


  一本の鉛筆がある敗戦日        礼子

  冬夕焼会いたいときに会いたいな

  三人の日と書く「春」や桜餅

  トランプにジョーカー道に落とし穴

  マフラーは巻くもの両手つなぐもの




★閑話休題・・・塚越徹「伊能図のまゝの御祖師まいりかな」(ivy)・・・

 塚越徹は「豈」の創刊同人である。本職は眼鏡店であり、愚生が生涯にたった一度、近眼鏡を作ってもらったのは彼だ。幸いというべきか、その頃の0.6程度、乱視の視力は現在もなお、0.3程度はあるので、普段は眼鏡をかけていない。もう、映画館、劇場にも行っていないので、その眼鏡は机の中に眠っている。ただ、最近は老眼も進行しているらしいので、手元の天眼鏡は必須である。彼は、多くは詩を書いていたが(「豈」には石原吉郎論を書いていたように記憶する)、近頃、思い立ったように句群を送って来る。その中から、本人には迷惑かもしれず、無断であるが、捨て置かずにいくつかの句を紹介しておきたい。


  古き家内にivyが侵略し          徹

  年号に養蚕あってしかるべし    

  指を彫る耳を作れるips

     地下鉄の「東京水」で手を洗う

  朝顔(ケンゴシ)の天の川まで至るべし



         
芽夢野うのき「ひたひたと氷晴れなるこぶしの芽」↑

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