石井清吾第一句集『水運ぶ船』(本阿弥書店)、懇切な序は、大島雄作「しなやかな精神」、その中に、石井清吾が俳句を始めたきっかけについて、
(前略)きっかけは老人ホームに入所し、俳句を嗜んでいた叔母だった。自分も俳句を詠めたなら、もっと叔母と楽しい時間が過せる。その思いを長崎南高校の関西地区同窓会で話したところ、同窓生の句会があることを知った。そこには後輩ながら、やがて清吾さんより一足早く同じ俳壇賞を受賞することになる池谷秀子さんがいて、熱心に句会に誘われた。(中略)長崎弁が飛び交うアットホームな句会。秀子さんのように深く学ぶ人もいるし、同窓生との交わりが楽しくて出席する人もいる。清吾さんは前者だった。
と記されている。そして著者「あとがき」には、
(前略)「あなたにぴったりの句会がある」と後輩に熱心に誘われて同窓生の「探鳥句会」に体験参加。長崎弁の飛び交う和気藹々の雰囲気と、指導に来られる「青垣」の大島雄作代表の懇切で的確な句評に感銘を受け、句会新入生となりました。並行して叔母とは毎週十句を見せ合い、参加した句会の結果も報告することに。叔母丸田藤子との二人句会は、彼女が世を去るまで七年間続きました。(中略)
句集名は俳壇賞作品のタイトル句〈水族館へ水運ぶ船夏はじめ〉に因みました。ある日港で見かけた水色の船が、和歌山県沖から大阪の「海遊館」に海水を運ぶ船だと知った時の驚きを詠んだ句です。中に海を抱いて運ぶ船は、育った長崎を離れて今は明石で暮らす私と海との関係を象徴するようです。また、地球に生きる私たち生物は、未来へと「遺伝子を運ぶ船」であるとともに、体に含んで「水を運ぶ船」でもあります。
としたためられている。ともあれ、集中より、愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておきたい。
半眼の鰐の動かぬ溽暑かな 清吾
象潟や九十九島も稲の上
若冲の虎は猫顔水温む
夕立や川面に水の棘生えて
余寒なほ軍艦色の空と海
黴の香や鞄から出すリラ紙幣
明石城築城四百年
四百年敵迎へざる城涼し
四万十や沈下橋から跳んで夏
山頂のケルンに檸檬置きにけり
ひぐらしや森の時間を過ごす椅子
叔母丸田藤子逝く
冬麗の富士を遺骨に見せやりぬ
弓袋白雨の中を駆けにけり
死火山の丸き眠りよ雪ぼたる
死ぬるまで団塊世代年詰まる
石井清吾(いしい・せいご) 1946年、福岡県生れ。
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