月刊俳句通信紙「こんちえると」第38号(牛歩屋主人・関根どうほう)、師系/大牧広とあるように、大牧広にまつわる記事も多々あるが、他誌に見られない特徴は、何と言っても、関根道豊「時評もどき・12月」で、三大新聞「俳壇」の投句欄、ならびに、総合誌の秀句を拾って、しかも、いわゆる社会詠・時事詠を多く、これでもか、と言わんばかりに収録していることではなかろうか。月刊紙とされているので、愚生などには、この煩瑣を徒労の積み重ねのようで、むしろ心が痛むくらいだ。しかし、それは、関根道豊という人の使命感のようでさえあり、大牧広の以下の言葉を挙げていることからも伺えよう。
大牧広先生が逝かれて、はや1年9カ月になろうとしているが、私の耳を離れないのが次の言葉である。
「『風雅の誠を追う』という俳人の姿勢に溺れることなく地球上に何が起きているかを、しなやかな精神で詠み続けることが現代俳人の課題であると考える/地球上の不幸な出来ごと、戦争、テロ、病気、これらを直視して俳句となす。この姿勢こそが俳句に永遠の力を与えるものだと考えている。」
大牧先生と「港」30年の、俳句の到達点がここに凝縮されている。
例えば、「朝日俳壇」、ここでは「豈」同人の高山れおなの選句のみを引用しておこう。
12月13日・寡婦多く空家も多し柿の村 宇部市 萬 洋子
12月20日・十二月八日国民マスクせよ 白河市 佐藤佳夫
マスクして羊の如く冬を征く 宝塚市 沖 省三
12月27日・出て籠り籠りては出る年の逝く 京都府精華町 土佐弘二
その他、特別寄稿に武良竜彦「高野ムツオの震災詠総括1」、高橋まさお「核の時代をどう詠むのか 時事詠を読む(21)」、波切虹洋「虹洋の練習塾」など、愚生の老いの眼には、少し難儀な、文字小さめの記事が満載されている。 ここでは、特集の「2020年の秀句を振り返る」から、「こんちえると俳壇・雑詠【天】の句」の第7回~第18回を以下に紹介しておきたい。
柿の木は残し故郷の墓仕舞 早川信之
あの頃の茶房のマッチ雪が降る 朝賀みどり
「生きる」とは全身麻酔さめて咳 青野草太
シャボン玉幼き息を継ぎ足して 波切虹洋
捨て畑に意地のごとくに葱坊主 足立貴志子
人を避け人に避けられ暮の春 石原百合子
曝書して師の終焉の五句に逢ふ 角田大定
人類が創りし忌なり原爆忌 青野草太
締め直す蛇口のゆるび敗戦忌 熊谷美之
手花火の落ちた闇から昭和の春 田村専一
オムライスやさしくくずす賢治の忌 若林ふさ子
鍵盤の一つ沈ませ愁思かな 前田千恵子
撮影・鈴木純一「臘梅や母のむくろに触れた手で」↑
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