酒井英子第一句集『緋の色』(文學の森)、信愛の序は加古宗也、跋は田口風子。 句歴はすでに30年以上になるという。その跋の中ほどに、
(前略)ところで、英子さんは必要なこと以外はあまりお喋りする人ではない。その訳は全く知る由もないが、句稿に目を通しながらふと気づいたことが一つある。それは「耐える」ということを自身に課すことが、次のステップを踏み出す大切な力になることを熟知しているからではないかと思う。
肉親、たとえば逆縁に遭遇しながらも、それをはね返して、前向きに生きることを自身に厳しく言い聞かせてきたように思われるからだ。それは家族を護るという女性のよい意味での強さを、英子さんが持っているからに違いない。愛という言葉に変えてもいい。
お嬢さんの死に直面して、
子の今際に会へぬ悲しみ冴え返る
春逝くや遺言もなく遺書もなく
雛壇に向けて飾りぬ子の遺影
啓蟄や今は一人にしておいて
「啓蟄」の句などは英子さんの「無言の叫び」といっていいもので、これを「絶唱」といわずして何というのだろうか。
と述べられている。そして、著者「あとがき」には、
句集を編むことは母との約束でした。そのために抜き書きを始めてくれていた夫の手書きの句稿のことが、まもなく夫の七回忌を迎える今まで心から離れませんでした。
このたび米寿を前にして、思い切って句集を編むことにいたしました。(中略)
句集名の『緋の色』は、
緋の色を根より授かり染始
から取りました。緋色は茜染めによる黄味をおびた華やかな赤で、「火色」また「思いの色」ともいわれます。その歴史は古く、吉野ヶ里遺跡では日本茜で染めた絹布が発見されており、古代から愛されてきた美しい色のようです。私は草木染めを続けてきましたが、初学の頃よりこの茜染めが大好きでした。
かねてより初孫の十三詣を、京都の法輪寺に家族揃って参詣したいと願っていましたが、その折に着てほしい晴着と成人式の振袖も、茜草(あかね)の根を煮だして緋の色を授かり、染めることができました。これは外孫にも着てもらいました。
と記されている。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
寝たきりの娘にルージュ引く初鏡 英子
ベルリンの壁
落書きにクルスあまたや愁思なほ
人日や生涯立てぬ子を抱く
水谷由美ちゃん
重度の身体障害を克服し、多くの表彰に輝き二十九歳の生涯を閉ず
寒紅をひくや逝かれし娘の頬に
花魁の外八文字や返り花
急逝の妹
悴みつ母のお数珠をかけ申す
初花や大き耳璫(じとう)の観世音
染工房の春秋
竜天に藍の機嫌は舌で聴く
別れ霜
収骨の十指揃へば亀鳴けり
東京神保町
暮の街古書肆は本を砦積み
集落があれば墓あり冬の梅
水色が欲し摘み溜めて臭木の実
酒井英子(さかい・えいこ) 1934年、愛知県生まれ。
芽夢野うのき「水仙の一束をわが髪の一束を」↑
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