2014年1月15日水曜日
有鴇秀記詩篇『眠りの門』・・・
有鴇秀記(あるとき・ひでき)はかつて、富岡和秀(1949年、大阪生まれ)という本名で、俳誌「豈」の同人であった。
句集に『テレパッスウル』、句文集に『魔術の快楽』、さらに詩集『皮膚の声を聴く』がある。
一般的には難解の烙印を押される句風といかにも哲学的な詩文は、俳壇には受け入れられなかったようである。
ただ、永田耕衣は『テレパッスウル』の次の句を上げて次のように述べている。
沼沼に残闕そよぐすすきかな
集中、この一句は一番立派かと思った。第一、格調に破綻が見つからぬ。何やらん混沌明明たる歴史的現実の《そよぎ》が美しい。印象的残像が永遠の韻をなびかせている。世阿弥の幽玄味、その漂いが単なる幻想を超えて、衰えを覚えさせぬ。しかも〈時空〉的リアリティ現成に迷いが加わっていない。和秀俳句の独自な個性はコレカラだろうが、野老はこの一句を不満なく讃賞しておきたく思う。
また、その栞文に、仁平勝は富岡和秀の「非鳥のなげくメタリックの界(サカイ)を越えんや」「てれぱっすうる幽水亭のなるしずむるっく」の句をあげながら、以下のように記している。
近代俳句の理論を、その根底からくつがえしてみせたのは加藤郁乎である。郁乎以前には、たとえ季語を拒否し、写生を拒否したところで、その俳句の尻尾には、現実的な時間(季節)や自然の風景や、日常生活のなかの人や物やあれこれの場面が、どうしようなくぶらさがっていた。まさに郁乎によって初めて、俳句の言葉は、近代俳句のイデオロギーが作り出した「俳句らしさ」の外側に、言葉それ自体として書かれたのである。
加藤郁乎の登場は、それまで俳句などにまるで興味を持つことのなかった文学青年を狂気させた。冨岡和秀もまた、かつての郁乎に狂気した青年の一人であった。
冨岡和秀は俳句から離れて久しいが、関西在住の彼が俳句の世界にその名を留めているのは、1980年から90年初頭にかけてのわずか10年ほどであろう。増田まさみの「日曜日」、坪内稔典の「現代俳句」や「船団」、あるいは西川徹郎の「銀河系つうしん」、そして弘栄堂書店版「俳句空間」などである。
ともあれ、本詩集・著者略歴には「『言葉は存在の棲家である』という哲学的言明のひそみにならい、存在の『ひだ』に向けて言語を投じるという営為を行なう」とあるのは、その志ひとつに営為の持続性を感じる。
終わりに詩篇一篇(抄録)をあげておこう。
星の滅亡
夢幻の彼方に過ぎ去った中世をぬけだし
失楽園に落ちついた漂泊の白鷲よ
しかし地上に住む先住者は独りとしていない
中世の闇からこんこんと今の夜に湧きいずる泉が
底無しとおぼしい深淵に巣をつくる人魚の尾びれを潤すのみ
中世のかすかな音を聴ける漂泊の耳にのみ泉の声が届く
ーー中略ーー
くれないの羽ばたきは大きくゆっくりと風を巻き起こし
時のしずくをしたたらせるが
羽は光りを発して不死鳥の鳴き声を蒼空に届ける
湧きいずる泉の水が漂泊の鷲の眼を濡らしたとき
深い淵から噴き上った人型の魚に目覚めが訪れ
滅ぶ星の光りを浴びながら鷲の羽に身をまとわれ蘇るのである
*「眠りの門』(澪標刊)
カレフヨウ↓
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