2014年1月29日水曜日

六福神と鶉・・・



『六福神』(角川学芸出版)は渡辺隆夫の川柳第6句集、『鶉』(私家版・限定200、西村家)は西村麒麟の第一俳句集である。
渡辺隆夫は1937年愛媛県生まれ、西村麒麟は1983年大阪生まれにして広島は尾道育ちである。
単純に計算して、年の差46歳、まあ隆夫は麒麟の倍以上は生きて来た。
さすがに、それだけで人生の厚みが違おうというものである。
渡辺隆夫も「あとがき」によるといろいろと俳句の会にも参加してきたらしい。近来にない批評精神溢れる川柳である。川柳だから批評性を喪失しては何もならない、当たり前といえばあたりまえだが、辛辣さにおいて群を抜いているように思われる。『六福神』の序文はらふ亜沙弥、跋文はサーモン・渡辺、帯文は成田利一。
一方、『鶉』は序文、跋文ともになし。「あとがき」もなく、最近では珍しく、実にシンプルな造りである。愚生も第一句集は何も無かったが「あとがき」は書いた。麒麟の健気さ、潔さを褒めておきたい。

      君が代を素直に唄う浪花のポチ        隆夫
      春の家なま足なま葱なま卵
      老いらくのラブ・イズ・オーバー春の雪
      毀れつゝ地球に秋が来ています
      アルジェリア企業戦士はテロの的
      亀鳴くと壇蜜の蜜ひとしづく
      柳俳全没、日本沈没遠からじ
      天皇に似た人もいるバスの旅
      原発跡地を基地とする法案
      人類が最後に死ぬでSHOW

渡辺隆夫について、序のなかで、「こんなに真面目に不真面目な句が書けるのはタカオさんしか知りません。川柳の批判性と俳句の痴呆性を併せもった鬼才なのです」(らふ亜沙弥)と讃えられ、また、跋のサーモン渡辺は「地を這う川柳」では渡辺隆夫氏の川柳は、蚤虱を詠んだ俳聖の心情に通じるものがる。氏の川柳は『地を這う文学』なのである。〈中略〉つまり、地を這って生きてゆくことが文化であり、文学なのであると氏は我々に川柳で指ししめしてくれている。〈中略〉十七世紀末の元禄時代(一六八八~一七〇四)に栄えた文化、俗に『元禄文化』というが、ここにも氏の川柳を読み解くヒントがある様に思う」と述べている。
だが、「あとがき」で渡辺隆夫は言う。「近作二〇六句を集めて『川柳 六福神』とした。私には第六句集じあたる。六というのは私のラッキーナンバーのようで、五で終りたくはないが、七までは行きたくないという変な自動制御が働くらしい。つまり、これで私の川柳もオシマイということになる」。
さてさて、渡辺隆夫は惜しまれて?川柳にお別れ宣言というわけだ。これも、処し方の一つなのかもしれない(愚生を含めて世にはびこる俳人などよりは潔い・・・かも)。
ともあれ、川柳に通俗性があるのは当然のなりゆきとしても、若い西村麒麟の句にも、軽く、好ましい通俗性はある。その通俗性は青春性にも通じているようにも思える。歴史的仮名遣いで書かれた句群が、その猥雑性、現代の猥雑さを救いだしている。

     虫売りとなつて休んでゐるばかり      麒麟
     新米や大働きをするために
     すぐ乾く母の怒りや大根干す
     耐へ難き説教に耐へずわい蟹
     節分の鬼の覗きし鏡かな
     父はわがTシャツを着て寝正月
     すぐそこで蟹が見てゐるプロポーズ
     冷麦や少しの力少し出す
     香水や不死身のごときバーのママ
                 ナンテン↓

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