2018年9月17日月曜日

岡田一実「火蛾は火に裸婦は素描に影となる」(『記憶における沼とその他の在処』)・・



 岡田一実第三句集『記憶における沼とその他の在処』(青磁社)、金原瑞人の帯の惹句に、

 これは俳句の掟破りなのか、革命なのか、/それとも俳句について自分が最初から思い違いをしていたのか。
 読み終えて、これまで遠のいていた足が/いきなり俳句の世界に引き寄せられるのを感じた。

とある。また、跋の青木亮人は、

  蝋燭を灯しつ売りつ石蕗の花
  蟻のぼる蕊を花弁の沿ふ乱れつ
 
 最も伝えたい出来事を季節感や言外の余情に委ねるほど、氏の高揚感は弱くない。「灯しつ売りつ」「沿ふ乱れつ」は現場性の濃さを伝えるものとして吟味された措辞だ。

と記している。「あとがき」を読むと、本句集への協力者に、多くの謝辞が述べられているが、愚生に興味があるのは冒頭の部分である。それには、以下のように語られている。

 これは確かにどこかで〈見た〉景色です。
 現実に、想念に〈見た〉景色です。
 記憶の景色は日々分裂し統合を欠きながらモザイク化します。
 もはやモザイクになった記憶もまた愛おしい。
 その果てしなさをお伝えできたらなら幸甚に存じます。

ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   暗渠より開渠へ落葉浮き届く     一実
   灯さずに踊りて暗きとは違ふ
   明るさに目の開く昼の姫始
   玻璃越しに雨粒越しに虹立つよ
   かたつむり焼けば水焼く音すなり
   文様のあやしき亀を賀状に書く




   
★閑話休題・・・

  本句集の版元の青磁社が発行している「青磁社通信」29の表紙に、巻頭7句として、「豈」同人の一枚看板の池田澄子の句が掲載されているので、一句を挙げておきたい。

   名残惜しや送り火の灰うつくしや     澄子

 先だって、夫君を亡くされた澄子姉さんの作品とあれば、なお、ひたすら胸に滲みてくる。


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