2018年9月26日水曜日

金子兜太「河より掛け声さすらいの終るその日」(「兜太」VOL.1より)・・



 「兜太」VOL,1(藤原書店・年2回刊)、本日の午後は朝日ホールで「兜太」創刊イベントが行われたが、愚生は「豈」61号の出張校正と重なり、失礼した。たぶん盛会だったと確信している。その「兜太」創刊号の創刊のことばは、黒田杏子(編集主幹)、筑紫磐井(編集長).創刊に寄せては、編集顧問の瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、芳賀徹、藤原作弥。藤原作弥は、ほかにも、エッセイ「日銀と金子兜太」を書いている。さすがに金子兜太の勤務先であった日銀元副総裁だけあって、愚生の知らない兜太像が描かれていて、面白い。他の論も力作ぞろいで興味は尽きないが、愚生の思うに、筑紫磐井の「誰にも見えなかった近・現代俳句史ー虚子の時代と兜太の時代」は、およそ教科書で語られてきた近・現代俳句史(俳壇史)ではない筑紫磐井による卓見がいくつも披歴されている。しかも説得力のある納得できる内容であった。出色の論というべきだろう(贔屓でなくそう思う)。またコラムには、金子兜太の後を襲った朝日俳壇新選者の高山れおなが早速「火星と国土と野糞ー金子兜太三句鑑賞」を寄稿していて、これも彼の独特な眼差しが感じられるものであった。その結びを引用すると、

  流離(さすら)うや太行山脈の嶺嶺(みね)に糞(まり)

『金子兜太集』で初めて読んだ『詩経國風』にはいたく感銘したものの、じつはその後、筆者の中での評価は下がってしまったところがある。というのも、筆者自身が兜太及び一茶に倣い、詩経の俳句化を試み、その過程で兜太作品と詩経原典をつき合わせ、分析的に読んでしまったためだ。そうするとどうしても詩経の方が良いじゃないかということになってしまうのは仕方がない。そうした興覚めな分析の網にかからない傑作がこの太行山脈の句だ。詩経からの直接の詩句のとりこみがない一方で、体感的に捉えられた詩経的空間が、そのまま金子兜太的主人公のみごとな背景となって間然するところがない。兜太の数ある糞尿俳句の中でも、壮大悲壮の点で随一としてよいのではあるまいか。

 と冷静に述べている。本書にはいろいろ引用したい論があるが(橋本榮治「詞に寄せてー井昔紅、そして兜太」、井口時男「三本のマッチー前衛・兜太」など)、ここでは筑紫磐井にととどめる。興味のある向きは直接本誌に当たられたい。一例を以下に挙げる。

 最もその差がはっきり現れるのは前衛と伝統だ。従来の俳句史の見方は、近現代俳句を伝統俳句と前衛俳句(あるいは反伝統俳句)にわけ、「伝統派」の名の下に虚子の花鳥諷詠と草田男の人間探求派を括って対立させていたのであるが、(中略)
 実はそうではない歴史観を提示した点である。反伝統の下に人間探求派も新興俳句も前衛俳句も括って、虚子の花鳥諷詠の伝統に対峙させてしまったということなのである。季語の有無のような枝葉末節の問題ではなく、表現態度(風詠対表現)で俳句史を描いてみようというまっとうな態度であった。
  
 こうして、「『詞』の詩学と『辞』の詩学」による分析にすすみ、(辞の詩学)に高浜虚子、石田波郷、高柳重信、阿部完市を挙げ、一方(詞の詩学)に正岡子規、山口誓子、中村草田男、金子兜太を挙げているのである。そして、結論を、

 ただ、兜太が虚子と違うのは、晩年に虚子の影響力がもはや俳壇や文芸の世界に全く及ばなかったのに対し、兜太はその最晩年に完全に復活したことである。それは他の文芸ジャンルからみても、伝統俳句が(芸だけは十分に持っても)良心を持たない偏狭な文学となっていると見なされていたのに対し、兜太のみは良心を持つ文学と考えられたからである。

 と示している.。また、本文中に幾葉も挟まれたモノクロの市毛實の写真は見ごたえがあった。ともあれ、本誌より、アトランダムに歌句を拾って紹介しておこう。

    湾曲し火傷し爆心地のマラソン『金子兜太句集』
  春の日を兜太と竜太がのぼりゆく被曝十三年の長崎の坂 佐佐木幸綱 
  大花火金子兜太と名付けたり             下重暁子
  花札(はな)を賭(う)つ畳にふくの燗ざまし     藤原作弥
  兜太先生春を吐き尽して笑う            夏井いつき


                                      

           撮影・葛城綾呂 風媒花↑
  

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