2018年9月20日木曜日

津久井紀代「一身の混沌としてなめくじり」(『神のいたづら』)・・



 津久井紀代第四句集『神のいたづら』(ふらんす堂)、集名は以下の句に因んでいる。

  蝌蚪の紐神のいたづらかも知れず      紀代

 集中、蝌蚪の句は他にもある。

  蝌蚪の紐アインシュタインなら解けさう
  蝌蚪の紐整理整頓してみたし

 その蝌蚪の紐にからんで、著者「あとがき」には、

  題名の「神のいたづら」は集中に収めてある蝌蚪の紐の不思議からの発想であるが、地球上のすべて、今私がここに存在することも、詩を書くこともすべて神のいたづらのように思えるのである。

 とある。「天為」主宰・有馬研究会を立ち上げて6冊の本を刊行したり、あるいはまた大木あまり、村上喜代子、中西夕紀らとの勉強会は三十年を超えているという。なかなか積極的な人生を送られている様子である。
 ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   あめんばう水輪いくつ作れば死
   薔薇の文字まはりだすかも知れぬなり
   鉦叩百叩いても父還らず
   ふゆざくら息がこんなにさみしいとは
   鶯餅泣き出さぬやうつまみけり
   修司の忌即ち澤田和弥の忌

 そういえば、若くして逝った澤田和弥は寺山修司にぞっこんだった。愚生は一度だけだったと思うが会ったことがある。その頃は、浜松あたりだったか、役所に勤務されていたのではなかろうか。有為の青年が逝くのは、ことさら無念に思ったことを覚えている。

   銀漢や母よ・神よ・ラマ・サバクタニ

津久井紀代(つくい・きよ) 1943年、岡山県生まれ。



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