2020年1月28日火曜日

月波与生「出入口にあるきれいな汚物入れ」(「晴」第3号より)・・・・



「晴」第3号(編集発行人・樋口由紀子)、巻頭エッセイは、このブログに、時折り写真を寄せてくれている鈴木純一「盟言語大切(めいげんごたいせつ) 分からないとはどういうことか」。不十分な引用になるが、巻尾近くを引用しておきたい。

(前略)言葉を「記号」に置き換えて、その範囲を「記号と解釈できるもの」にまで広げると、手紙・詩・小説にかぎらず、映画・建築・服飾・都市もテクストと呼べることに気がつく。すると、それまで別々のものとしてしか見えなかった事象が、一つの風景として浮かび上がる。これは「言語が世界を分節する(分ける)という考え、記号論的立場であろう。しかし、
   A『分ける』とは「1ヲ2にスル」ことーー古くは【分く】といった
   B『分かれる』は「1ガ2トナル」ことーー古くは【分かる】である。
現代語の【分かる】は、「理解できる」の意だが、そこに日本語の古層(B)が残っていて、何かに働きかける(スル)に対して、自ずと生まれる(ナル=生る・成る)感じがする。日本語の底には二つの力、【分く/分かる】「スル/ナル」が、いまだに働いていると思う。
 
 他に、先般上梓された樋口由紀子句集『めるくまーる』など、興味深い評論、エッセイがあるが、ここでは、一人一句を以下に挙げておこう。

  さみしいのだからえんえん穴を掘る    広瀬ちえみ
  死者の名をコンビニへ来て探し当て     月波与生
  いきとめてみてもいいけどぽんぽんだりあ 樋口由紀子
  下々へ銃剣で弾くバイオリン       きゅういち
  CMが出て哀しみが煮つまらぬ       水本石華
  副作用続くハチマキとヒノマル       松永千秋



  

★閑話休題・・・池田澄子「生き了るときに春ならこの口紅」(「俳句」2月号)・・・


 「晴」の樋口由紀子が「豈」同人なので、「豈」つながりで「俳句」2月号(角川文化振興財団)に寄稿している「豈」のメンバーの一人二句をあげ、

  不意に風立つ迎え火の消える前     池田澄子
  日遍しそして寒くて川のほとり
  歴代や総理しらじら嘘をつく      筑紫磐井
   「豈」創刊四十年を前に
  攝津・大本なくて十一月の珈琲    
  返り花戻らぬ人を待つてをり      関根かな
  春疾風イヤホーンからのYMO 

 高山れおな『百年の秀句』(金子兜太句集)評を以下に挙げておこう。

 上溝桜(うわみずざくら)いつきに咲きて亡妻佇(つまた)てり  兜太

故・皆子夫人を詠んだ句が多数ある中、掲句に息を呑んだ。〈いつきに〉花ひらいたこの幻想の鮮やかさ・・・





              撮影・鈴木純一 崖っぷちに咲く

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