堺利彦監修『石部明の川柳と挑発』(新葉館出版)、編集者は前田一石・樋口由紀子・畑美樹。前田一石「はじめに」には、
一九七四年、石部明の川柳の出発点である。以来、時実新子氏、寺尾俊平氏らの薫陶を受けながら、次々川柳大賞を獲得、一九八八年、岡山県川柳作家百句集「賑やかな箱」を出版。この頃から本来川柳の持つ「批判精神」の欠如を語り、「潰すのではなく、新しい伝統を作る」ことだと、「現代川柳」への想いを示した。(中略)
二〇一一年「岡山の川柳」改革へ。「Field」は停滞する岡山の川柳への方向を示す大きな一歩になったが、「病」はすでに彼を蝕んでいた。(中略)二〇一二年十月二十七日「Field」25号の編集中、石部明は逝った。
と記されている。享年73。志なかばの死である。本書に石部明が語ったあれこれも多く、その中に、
「そこにある自分を書くのではなく、書くことによって表れる自分」という考え方を創作理念としている。 (2008年「バックストローク」)
意味を飛び越えてことばを弄べ。読者を裏切れ。
そのためには、まず自分を裏切ることだ。 (2012年「Field」)
とあった。俳句にも通じる言葉である。そして、樋口由紀子の「あとがき」には、
石部さんが亡くってからもうすぐ七年になる。「MANO」創刊・『現代川柳の精鋭たち』出版・「バックストローク」創刊・『セレクション柳人』出版と川柳の一時期を一緒に駆け抜けてきた。
とあり、また、畑美樹「編集後記」は、
(前略)明さんに会うのは、バックストロークの大会などに年数回。そこで樋口由紀子さんと一緒に明さんの近くに座ると、ニヤリ、としながら、次なる企みを話してくれた。自身の川柳というより、川柳界へのまなざしの熱さ、強さを感じさせる企みの数々だった。あの、黒々とした髪の頃の明さんは、どんなことにまなざしを向けていたのだろう。口絵の編集作業をしながら、それを知りたい気持ちが溢れた。
と、言う。愚生にもいくつかの思い出がある。アンソロジー『現代川柳の精鋭たち』は、北宋社の渡辺誠に、何かいい企画がないかと相談されたときに、愚生が提案し、その実行部隊として樋口由紀子にバトンを渡した。邑書林の「セレクション柳人」は、このシリーズの企画をどこで出すべきか、と相談されたときに、邑書林のセレクション俳人、セレクション歌人に続く、もう一つの短詩形シリーズとして欠かせない、と邑書林にもちかけたセレクション柳人の企画を、島田牙城は、二つ返事で引き受けてくれた。こうしたことで、愚生にも、少しだけだが、現代川柳の在りどころを伺い知るよすがとなった。思えば、現在、俳句形式以上に言葉を自由に飛躍させている形式は、現代川柳ではないかとさえ思える。ともあれ、集中よりいくつか石部明の川柳を挙げておこう。
死んでいる馬の胴体青芒 明
革命はくり返される無数の碑
いちめんにすすき点していなくなる
どの家も暗黒の舌秘蔵せり
目礼をしてひとりずつ霧になる
半身は花にあずけて犀眠る
ぎっしりと綿詰めておく姉の部屋
冬空に血のようなもの混じっている
轟音はけらくとなりぬ春の駅
球体の朝それぞれの宙返り
どの紐を引いても死ぬるのはあなた
脱臼の後もしばらくアジアにいる
鳥籠に鳥が戻ってきた気配
石部明(いしべ・あきら) 昭和14年~平成24年10月17日。 岡山県和気郡三石町(現・備前市)生れ。
撮影・染々亭呆人 ↑
撮影・染々亭呆人 ↑
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