『須藤徹全句集』(発行・山田千里、編集・ぶるうまりん俳句会)、「ぶるうまりん」第39号(ぶるうまりん俳句会)は、「『須藤徹全句集』刊行記念号」でその特集に、外山一機「須藤徹のまなざし」、山田耕司「赤い雲、ここに漂う―須藤徹における『果実』と『毒』-」、松本光雄「『須藤徹全句集』-俳句と哲学のアマルガム―」の論考と、各同人が「須藤徹の言葉のイメージ」題して、須藤句の鑑賞と献句がそれぞれ記されている。
愚生は、現代俳句協会青年部立ち上げの時の青年部長・阿部完市に次いで、実質を担っていた夏石番矢が青年部長になり、夏石番矢のパリ留学中に、その代行を務めていた須藤徹に同行していた。形式的には50歳までとなっていた青年部だったが、橋本直が部長に就任するまで、彼は、還暦を過ぎても献身していた。愚生は阿部完市に夏石番矢後を打診されたが、その任にあらずと思い、還暦を超えることなく青年部委員も辞した。
ある時、青年部長代行時代の須藤徹と、何かの打ち合わせで、池袋の喫茶店(確か地下にあったと思うが)で話しているとき、雑談のなかで、「ぼくも、あの時代を経ていますから反体制ですよ」と言った。当時、愚生は、学研の少数派組合の支援によく学研本社前の抗議行動に参加していたことは、須藤徹も知っていたのだろう。しかも、愚生の所属する組合が支援していた学研の少数組合は、当時の学研の管理職をはじめとする暴力的な社内支配(実際に、社内では殴る蹴る、意見の違う者を吊るし上げるなどが行われていた)に抗して闘っていたから、学研の役職にあった須藤徹は、そうした管理職とぼくは違うよ、と言いたかったのかも知れない(須藤青年部長の晩期、意外なワンマンぶりとスキャンダルで評判を落としたのは残念だった)。とはいえ、須藤徹は、小川双々子の「地表」同人時代から「豈」同人であったし、「豈」のなかでは 唯一現代俳句協会賞を受賞した男性だった(早逝が惜しまれる享年66)。女性では、あざ蓉子、岸本マチ子、、鳴戸奈菜、池田澄子などが、現俳協賞を受賞した「豈」同人であった(現在、「豈」に残っているのは池田澄子)。そして、このたびの全句集刊行に尽力された方々に敬意を表したい。
ともあれ、以下に、全句集の中から、既刊句集からではない、いくつかの句と、「ぶるうまりん」本号の一人一句を以下に挙げておこう。
藤を見る傘の内なるてろりすと 須藤 徹
黄落や斜めに立てる太郎冠者
警官は現の証拠を指し笑う
晩夏光思想にモアレ生じけり
毀れやすいコギトと思う落し文
風呂吹きや国家へ箸を伸ばしけり
血の肉刺(まめ)を冬オリオンは笑うだろうか
黄昏へなだれる硝子と白い縄
背面飛びぶらっくほーるは蒸発し
んからあまでにげみずをおいかける
すきすきとすすきとおどるすずきくんすき
名月をくすぐっている猫の髭
回転ドア天より藤のなだれおり
川のような棺を運ぶ青山河
須藤徹(すどう・とおる) 1946年10月1日~2013年6月29日、東京都生まれ。
黄色い約束が街に降り積もる 井東 泉
今日もまた立たされている葱坊主 生駒清治
風止みて鏡の中の月老ゆる 三堀登美子
震えそうなしたたりそうな春の耳 芙 杏子
蒟蒻をつかむ宇宙をつかむ 山田千里
芝浜と遠くつながるかき氷 普川 洋
夏の果幻影ヤモリに名をつける 土江香子
はじまりは単刀直入夏来る 東儀光江
少年ジャンプして「考える人」を考える 及川木栄子
蛇穴に入るや人工呼吸器をはずす 平佐和子
薄野に聞く過去形の風の音 田中徳明
手品師が繰り出す明日豊の秋 齋藤 泉
すずらんの単純明快な音律 池田紀子
いなくなった猫の行方に五月雨るる 村木まゆみ
紅葉且つ散る太陽光発電のパネル 瀬戸正洋
あと一つ。連載エッセイ、芙杏子《衣と俳句》⑧に「とろめん」があり、三橋敏雄「鬼羅綿(とろめん)を織る母に依りわれ生まる」と八田木枯「鬼羅綿の手ざはりのごと十月過ぐ」は、二人の交遊をめぐる卓見だろう。
撮影・鈴木純一 飛ばなかった ↑
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