2020年1月19日日曜日
望月至高「医学者の静かなる自死山眠る」(「奔」NO.4)・・
「奔」NO.4(編集発行人・望月至高)、望月至高は鈴木六林男晩年の弟子である。忌憚なく言えば、句よりも評論の方に一層の冴えをみせている。本号では、自句自解「茫茫と影を踏む」で10句を解説しているが、その末尾に、「奔」について述べた件がある。
古希を機会に、俳句と社会評論誌『奔』を発刊。何ものにも阿ない自立した書き手とともに「わたくし」自身であろうと奮闘している。
と記している。これで「奔」誌の特徴がよく語られているが、表紙にも「句・詩・評論/自立の言論」とある。今号の特集は「天皇皇位継承」「日韓連帯のためのイロハ」など、読み応えのある犀利な論考ばかりである。俳人つながりでは筑紫磐井「新聞週間から見える戦後の新聞(1)」、望月至高「憲法解釈改憲ー『古くて新しい』天皇の時代」大橋愛由等「華厳思想〈事〉と〈理〉の異相ー日韓の思想的淵源をさぐる」があるが、ここでは、短いが、望月至高の以下の記述を紹介しよう。
(前略)子安宣邦が指摘した意味は、ともすれば憲法解釈論の変位は、共同体崩壊の進行からくるニヒリズムのなかに、国民主権を希薄化して明るく滅んでいく予兆ではないのかという危惧である。国民が自ら主体的に担わなければならないはずの、民主的行動と責任を放棄してr、翼賛的に「『ノモス的主権者』たる天皇に真の主権者たる自覚も譲り渡してしまった」(子安『天皇の』)のではないのか。わたしたちは今、憲法解釈改憲によって「古くて新しい」天皇時代を拓いてしまったのではないのか。宮内庁も「2016年8月8日の天皇の「おことば」は、清宮説を咀嚼して書下ろされたものである」と石川は証言している。
もう一つ、今井照容「『愛知トエンナーレ2019展示会』と表現の自由と」から、以下の部分、
(前略)断るまでもないだろうが、「表現(言論)の自由」と「自由な表現(言論)を等号で結ぶことはできない。「表現(言論)の自由」は「政治」から自由になることはできないのである。一方、「自由な表現(言論)は、「政治」を拒否することができる。というよりも、「自由な表現(言論)」において、「政治」なんぞないのである。「表現(言論)の自由」は「自由な表現(言論)」と対立し得るのである。
と、述べられている。その他、評論では、子安宣邦、添田馨、文京沫、太田修、金村詩恩、金泰明、佐藤清文。詩では、山崎行太郎、北原千代、西脇慧など多くの寄稿があるが、ここでは、一人一句を以下にあげておきたい。
少女いう「腸(はらわた)ないから虹が好き」 江里昭彦
冬青空の尽(はたて)はラピスラズリ 羽田野令
西村寿子さんへ
勝利的和解にとどき秋の蝶 岡田耕治
蟷螂の愛の起源はいづこにぞ 今井照容
分水嶺立ち詩稿水鳥燃やす夕 大橋愛由等
散骨の海を見ており時雨けり 望月至高
香港革命 白山茶花の散り敷ける 大井恒行
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