「コスモス通信」第42号(発行者・妹尾健)、妹尾健「初期俳諧について」のなかに、ブログタイトルにした「鬼ぞ三ぴき走り出てたる/おそろしやあらおそろしやおそろしや」を抽き、
(前略)周知のようにこれは別々の作者の句である。意表をついた前句に意表をついた答えを出すのが付け句である。なんのことはないそれだけである。それが面白いのは前句の問いありは場面設定といったものにどう付け返すかが、この「竹馬狂吟集」の全体の方法である。俳諧はこの応答のおもしろさやおかしさを伝えねばならない。
勿論、大笑いですんでしまう句もあるのだが、この場合そうした鬼の出現とバカバカしさを表現したことに対する笑いが大切なのである。(中略)
このような世界の拡充は室町期から連歌の流行にかけて発展していく。やがてこの卑俗な世界の対象は近世近くになると
月に柄をさしたらばよきうちわかな
といった山崎宗鑑の句のように収れんされてくる。そして卑俗な部分は捨象されてのちの川柳や雑排にところを得るということになる。(中略)山崎宗鑑の句には、月とうちわの機知しかのこされていないことになる。だからそこには人をニヤリとさせるものがない。(中略)
初期俳諧は確立した美意識をもっていないかもしれないが、いわば卑俗なエネルギーに満ちている。そのエネルギーはぼくの閉口をこえて旧来の社会通念や貴族連歌の制約を徐々にではあるが打破していったのである。
このエネルギーはまず卑俗な対象とそのおかしさを表現することであった。
運は天にありとやあがるゆふひばり
室町人のあすの生命とたつきの道の困難さをひっそりと述べた句である。こんな句もつくられていたのである。
とあった。「コスモス通信」はいわば個人通信誌であるが、他に、桂信子の句を鑑賞した秋華連載「エッセイ 秋潮の綺羅」、招待作品に竹味千賀子「白秋」がある。以下に句を引用しておきたい。
落日や秋潮の綺羅わが身にも 桂 信子
蝶番のあまた骨格きしむ杖 竹味千賀子
月光にかの公爵の挨拶す 妹尾 健
天上に小鳥の声は高まりぬ 〃
決心の古書買う町の秋しぐれ 〃
草の香のあたりにでればゆるしけり 〃
西鶴忌市井の中は風ばかり 〃
★閑話休題・・・府中市生涯学習センター「現代俳句」秋季講座第1回(10・7)・・・
昨日は府中市生涯学習センターの現代俳句講座の開始日だった。秋季講座は5回あって、最後は12月に一日入っている。コロナ禍で12名の人数制限があり、今回は抽選で落選された方がおられる。ちょっと残念。聞くところによると、愚生の前の講師は高田正子だったらしい。全く初心の方もおられるので、やはり、一から始めることになる(一回目は必ず自分の名前を詠み込んで自己紹介俳句を作っていただく)。最初は、俳句の来た道について、大雑把に説明はするが、とはいえ、実践的にと考えているので、次回は2句兼題を出した。持参していただくことになっている。すでに、愚生の講座で3期連続の常連の方もいらっしゃるので、今回は12名のうち9名の方が複数回受講者であったので、これから、もうひと工夫しなければいけないところである。以下は、自己紹介一人一句(順不同)。初めて作ったと言われてもにわかには信じられない。キチンと型に入っている。
山川桂子いねむりがちに能を見し
スマホデビューそれでどうなる清水正之
母の死に久保田和代の秋しづか
秋の野にオカリナを吹く壬生みつ子
子の心玲瓏たれと託せしか (牧の玲子)
秋日和井上芳子空見あぐ
長谷川和子ミステリー読む長き夜
松一や古希の手習秋の空 (杦森松一)
濱筆治(はまふでじ)実在するや秋の雲
傘寿すぎ井上治男冬近し
冬野菜育つを待ってる吉永敏子
大井恒行府中の森の秋に住む
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