「つぐみ」NO.201(俳句集団つぐみ)、本号の巻頭の「俳句交流」は、「豈」同人でもある高橋修宏「オリンピア」7句と小文。それには、
もとより俳句における〈定型〉とは、ひとつの拘束である。しかし、その拘束こそが、自己を自由にするのだ。知らず知らずのうちに自己の中に降りつもり、あたかも自然であるかのように馴らされていく日常感覚。そこに亀裂を走らせ、切断し、解き放ち、そして亡命をはかるための装置、それが〈定型〉だ。その場に立ち上がる自己は、すでに日常の時空を生きる主体ではない。死と生、彼岸と此岸、虚と実のあわいに佇む、いわばマージナル=境界的と呼びうる主体―。
と記されている。本誌には、他に、外山一機の連載俳句評論(85)「『戦火のホトトギス』に思うこと」がある。ともあれ、本号より以下に一人一句を挙げておきたい。
幽霊を待つ忠犬のいとしけれ 高橋修宏
草の実や肉食獣を揺り起こす 有田莉多
秋の虹誰も奪へず誰か消す 安藤 靖
解体の前にも後にもねこじやらし 井上広美
汗の背を押されて天の風となる 入江 優
「いいだんべ」亡夫(つま)のくちぐせ照紅葉 鬼形瑞枝
金木犀 ポケットに入れて スキップだ 金成彰子
二百十日水の広場に水あらず 楽 樹
外国より暑中お見舞い生きてますか 津野岳陽
山越えの海からの風稲実る つはこ江津
しりしり乾く八月の吃音 夏目るんり
庭仕事終了蜥蜴が見回りに 西野洋司
大丈夫という人がいる秋のすきま ののいさむ
三人が頷くナンバンギセル 蓮沼明子
順々に木がゆれ合歓の花が咲く 平田 薫
コスモスの咲いていたよと振り返る 八田堀亰
母の形見にオロナイン軟膏と終戦日 らふ亜沙弥
もうだれだか訊けぬ写真秋晴れ 渡辺テル
白桃を叱りつけてる香具夜姫 わたなべ柊
「句が痩せる薬有〼」金黙星 渡 七八
撮影・鈴木純一「雑草ト云フ名ノ草ハ無イあっそう雑草みたく生きているだけ」↑
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