2021年10月25日月曜日

永田満徳「不知火や太古の舟の見えてきし」(『肥後の城』)・・・

 

 永田満徳第二句集『肥後の城』(文學の森)、帯文は奥坂まや、それには、


 阿蘇越ゆる春満月を迎へけり

 永田満徳さんは熱情の人だ。

 その熱情は、生涯の道として邁進する文学に対しても、自然も人情もおおらかな家郷に対しても、力強く燃え上がっている。

 満徳さんの愛してやまない肥後の雄大な天地は、近年、地震と水害という災厄に見舞われた。この句集は、傷ついた故山に捧げる、ひたむきな思いの披歴に他ならない。


  と記してある。また、著者「あとがき」には、


(前略)震災は句集『肥後の城』の成立に大きな影響を与えた。熊本城を悼む気持を句集の題にして、熊本地震の句を起承転結の〈転〉の部分に当てるつもりで編集を進めていたところ、人吉で大水害が起こり、奇しくも二つの大災害を悼む句集になった。


 とあり、また、


「俳句大学」は、「花冠」名誉主宰の高橋信之氏の発案で、「俳句スクェア」代表の五島高資氏と計らって、インターネット時代の俳句の可能性を探ることを目的に設立し、ネット上に新たな句座を創出した。月一回のインターネットの「俳句大学ネット句会」や毎日、あるいは週一回のFacebookグループ「俳句大学投句欄」のイベントなどに投句し、講師として選句を担当してきた。今日まで継続して来られたのは、ひとえに「俳句大学」の活動に対するご理解とご支援の賜である。


 とも記されている。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。


   塩振つて塩の振りすぎ夏の昼       満徳

   いがぐりの落ちてやんちやに散らばりぬ

   ふるさとは橋の向かうや春の空

   照紅葉墓域というて墓はなく

   慰霊の碑も埋立ての地も灼けてをり

        *水俣湾埋立地に建つ「水俣病慰霊の碑」

   居住地が震源地なる夜長かな

   日田往還中津街道彼岸花

   葉牡丹の客より多く並びをり

   野分あと雲は途方にくれてゐる

   春雷や自殺にあらず諌なり

   戦死者に敵味方なし日の盛

   指につく粘着テープ憂国忌

   

 永田満徳(ながた・みつのり) 1954年、人吉市生まれ。



 撮影・中西ひろ美「芽はいたたいたたと言ふて持ち上げる」↑

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