2021年10月28日木曜日

高橋修宏「きりぎしに干涸らぶ桃か方舟か」(「575」8号)・・・


 

 「575」8号(編集発行人・高橋修宏)、表2・右側下段隅には「私は進歩しない。旅をするのだ」(フェルナンド・ペソア)の献辞がある。また、本田信次と高橋修宏の二人詩誌「NS」3号が同送されてきた(上掲写真右)。俳句とエッセイ(論考)の二本立ての個人誌である。エッセイ(論考)には、打田峨者ん「だ。それはー見捨つるほどや〔二〇二一夏〕、田野倉康一「詩と美術は近いか」、今泉康弘「ジョニーはどこへ行った」、松下カロ「井口時男に語られて 金子兜太と中上健次」、松王かをり「三橋敏雄の戦争句をめぐってー『畳の上』『しだらでん』を中心に」、高橋修宏「六林男・断章十五(1) 他者としての〈女〉」、星野太「忌日の権能(四)」。その中の上田玄の句について論じた今泉康弘「ジョニーはどこへ行った」の結びちかくに、


 (前略)俳句商業誌では、読者(俳人)に対して、季語について、自然現象について、啓蒙する記事をよく見かける。ただし、環境問題や都市化によって、それらが破壊され、壊滅・絶滅へと赴こうとしている、という問題は、ほとんど取り上げられない。なぜなら、多くの俳人は自然そのものを愛しているのではなくて、自然と触れ合っているという観念だけを愛しているからだ。歳時記の示す観念という、一種のユートピア空間を、多くの俳人は愛している。そうして俳人たちが逃避のための観念的自然愛を続ける限り、現状は続き、さらに悪化する。俳句に対して、自然との触れ合いとうう観念だけを求め、愛するとき、俳人を読解する基準は、季語・歳時記の世界観だけとなる。

 これに上田玄は反抗している。様々な先行作品、先行言語表現を踏まえて、その世界を作品に取り込み、作品を重層化させること。そこに、季語に対抗する、世界が生まれる。むろん、その道のりは容易ではない。


 とある。また、松王かをり「三橋敏雄ほ戦争句をめぐって」は、


(前略)季語の働きを充分に知った上で、なぜ無季としたのか。言い換えれば、季語の持つ地層の深さを知ったからこそ、「戦争」を「無季」とするしかなかったのではないか。戦争とは、四季を愛でる営みの対極にあるもの、つまり、「戦争」の本意が「無季」なのである。


 とあった。そういえば、生前、三橋敏雄は、句を作る際に、色々、案じた末に、どうしても相応しい言葉が見つからないとき、最後に季語(季題)を入れる、と言っていた。「戦争」という題だ、とも言っていた。ともあれ、本誌より、以下にいくつかの句を挙げておこう。


   枯木灘流灯を消しまた荒ぶ          花尻万博

   橋かかる象(すがた)ならんか草おぼろ    三枝桂子

   たそがれや指鉄砲に散るはらから      増田まさみ

   蚊帳ぬちに人形母の声で泣き         松下カロ

   照り返す葉裏の桃の被曝量          高橋修宏

   マスクして口中に満つ秋の暮        打田峨者ん



   撮影・芽夢野うのき「すまほいま拗ねているから裂け柘榴」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿