2018年6月4日月曜日

石牟礼道子「天日のふるえや白象もあらわれて」(「藍生」平成30年6月号より)・・



 「藍生」平成30年6月号(藍生俳句会)は、特集「石牟礼道子のコスモロジー」。そのはじめに黒田杏子は、

 一九七〇年代のはじめ、博報堂の社員であった私は主として都心を連日仕事のため、朝から夜まで社用のタクシーで移動しておりました。
 チッソ本社ビルの前の座り込んださまざまな人々の姿を、為すすべもなく目を伏せて通り過ごしておりました日々の辛い哀しい記憶を忘れることが出来ません。
 その人々の中に渡辺京二先生も石牟礼さんも居られました。黒地に「怨」の文字が白く染め抜かれた大きな旗が眼の奥にいまも棲みついております。石牟礼道子さんの姿をはっきりと記憶しております。この世の苦しみを一身に背負った凛然たる女性の表情と立姿は広告会社の一女性社員心臓につきささりました。

と記している。また特集の最後の御礼の言葉には、「商業誌では絶対できない内容の一冊にしたいと昼夜をわかたず考え続け、そ構成案に従って、おひとりおひとりにご執筆その他のお願いを差し上げ、すばらしい内容のお原稿その他を賜ることができました」とあった。事実その通りで、「現代思想」の石牟礼道子特集や河出書房のシリーズ『石牟礼道子』などとの執筆陣の違いは明らかである。「藍生」誌上執筆された方々は、みな石牟礼道子のごく近くにいた方ばかりで、石牟礼道子への比類ない愛が感じられるものである。
例えば、渡辺京二は「カワイソウニ」と題して、

 石牟礼道子さんについて、いま私は何も語る気にはなれないのです。ただひとつ例外として「現代思想」に短いものを書きましたが、これは「苦海浄土」の成立について誤解なさっている方があって(そういう誤解は従来もあったのですが)それを解くのに必要なことだけを明らかにしたのです。(中略)
 私は故人のうちに、この世に生まれてイヤだ、さびしいとグズリ泣きしている女の子、あまりに強烈な自我に恵まれたゆえに、常にまわりと葛藤せざるをえない女の子と認め、カワイソウニとずっと思っておりました。カワイソウニと思えばこそ、庇ってあげたかったのでした。
 ひとに必要とされるのは何より単純明快な生き甲斐であります。私はいまその生き甲斐を失って、生れて初めて何のために生きるのかという問いの前に立たされました。笑うべきことであります。

としたためている。他の執筆者は、齋藤愼爾「生者と死者のほとりー石牟礼道子さんを悼む」、藤原良雄「『石牟礼道子全集 不知火』(全十七巻別巻一)誕生の記」、中野利子「『無常の使い』を詠む」、磯あけみ「石牟礼さんのこと」、他に収録は、石牟礼道子「天の病む」、「石牟礼道子さん 最後の俳句 20」(「読売新聞 西部本社」転載)、さらに読売新聞からの転載は長谷川櫂「『石牟礼道子全集 泣きなが原』より」、緒方正人「熊本開催『水俣病展2017』シンポジウムでの発言」(「魂うつれ」第72号より転載)。このシンポジウムの発言には、

 それから食べ物ということ、食ということに視点を置いたときに他の生き物との普遍性が見えてくる。つまり認定制度や裁判制度や政治状況とは別次元で、自然界の生命存在という視点に立った時に、共に苦を味わったのではないか、共に苦を味わされたといってもいいし、共なる苦を引き取った。そういう感じがします。

とあった。それは、石牟礼道子が『花びら供養』(平凡社)に記した「チッソは私であった』という本をかいた同じ患者の緒方正人(まさと)さんの言葉」と等しいものだった。
 以下に、最後の句より・・、

  あめつちの身ぶるいのごとき地震くる     道子
  泣きながら化けそこないの尻尾かな
  親の樹は砂漠に今もおらいます
  きょうも雨あすも雨わたしは魂の遠ざれき
  朝の夢なごりが原はひかりいろ
  モスリンの晴れ着着てまた荷を負いぬ





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