2018年6月18日月曜日

徳弘純「出発や麦のほとりに血を流し」(『徳弘純全句集 城』)・・・



徳弘純全句集『城』(編集工房ノア)、帯に「現代俳句(1957~2017)/『非望』から『シーラカンスの夢の中へ』まで/渾身の1700句」とあるように、徳弘純の句業60年間に及ぶ作品が収録されている。第一句集『非望』、第二句集『レギオン』、第三句集『麦のほとり』、ただし、この第二、第三句集は一つの箱に納められた合本句集で、『レギオン』は無季作品のみであったと記憶している。第四句集『褶曲』、第五句集『橋』(「花象」第七号に発表した紙上句集の再録)、そして、最後に収められているのが未刊の新句集の第六句集『シーラカンスの夢の中へ』である。
 愚生にとってはまさに待望の句集が、まさか全句集として刊行されるとは思っていなかった。それは、徳弘純がもはや公に句集を出すことはないという宣言でもあるように思える。
 徳弘純は文字通り鈴木六林男の弟子で、「花曜」に参加、その志をよく継いできたと思う。従って六林男を想う句は多い。

  〈死んだよ(ムリオ)〉とは独り黄昏(こうこん)に立ち止まる  純

 この句の注には、「〈ムリオ(死んだよ)〉は『誰がために鐘は鳴る』(ヘミングウェイ作・大久保康雄訳・新潮文庫)による。スペイン語と思われる」とある。

また、

  (つちふ)ると師に兵燹(へいせん)の句のありし
     *「兵燹や太古のごとき夕まぐれ」(鈴木六林男『定本・荒天』)。

 「全句集『城』の後記」には、次のようにしるされている。

(前略)元の独りといっても、馬齢の重なり以上に、少年時代とは「独り」の中味が異なる。溶明と溶暗。薄暗がりの風景に立ち現れる、「城」と名付けた数々の道化染みた場面。それを噛みしめる。私の「城」は、聳え立つ城というよりも、中世の「土居」の方が相応しい。ささやかな土塁。荒れて古び、草生(む)しながら我意に骨張っている。何かの跡形と思われても仕方がないかもしれない。尋ねて行っても大概は不在で、時に書き置きめいたものに「シーラカンスの夢の中へ」云々などと殴り書きされていて、風にめくれているばかりーー。

 本句集の集名に因む句は巻末の、

   (みんなみ)へシーラカンスの夢の中へ

 である。ともあれ、多くの句を挙げたいが全句集ともなれば切りがない。以下にいくつかの句を挙げるに留めておこう。

   銀行の裏は霙の祭かな
   寒林にデラシネの目のいくつ咲く
   寒鴉非望を捨てに来てみれば
   或る櫂は海から空へ漕ぎ出でぬ
   太陽に鳥うち消されここは無数(レギオン)
   すがたなき廃兵といる夜の橋
   八月や傘立てにある骨の傘
     阪神・淡路大震災
   地の骨に余震止まざり秋水忌
   常しえに磔(はりつ)けられて夜の滝
   窓秋夏野しずかに痛き光さす
     *「頭の中で白い夏野となつてゐる」(高屋窓秋)。
   空蟬の此処にも橋の架かりいる
   隠国(おにぐに)の闇深ければ夢見草
     *「夢見草」は桜の異称。
   行きゆきて火(ほ)の穂(お)を負えり秋の暮
     *「火の穂」-「炎・焔(ホノホ)。
   遠景の仕種は考(ちち)か合歓の花
   北辺の火声は夢か鬼房忌
     *「火声」は「ものが燃え上がる音」(「将門記」註)。
   戒厳へ時間の蹄戛戛(かつかつ) 
   クリスマス海は嘆きを繰り返し 
      幼児回想二句
   火遊びをしても消しても饑(ひも)じかった
   人間魚雷にあこがれた頃五円のころ

徳弘純(とくひろ・じゅん)、1943年、高知県生まれ。


    

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