2018年6月30日土曜日

普川洋「余生にも余生があって木の実降る」(「ぶるうまりん」第36号)・・



 「ぶるうまりん」第36号は、特集「普川洋の顔」である。山田千里「推理小説を読み解くようにー普川洋の俳句と川柳を超えた世界ー」で、

 普川洋の中には、普川洋と普川素床という二人の人間がいる。普川洋は、俳人の顔であり、普川素床は川柳作家としての顔である。普川はどこで、その顔を使い分けているのだろうか。

 とその冒頭に記している。そして、普川洋特集を組むことになったきっかけは、

 二〇一六年一月から五回にわたっての、川柳スープレックスで「連載放談 普川素床読解入門 小津夜景×柳本々々」を目にしたからである。

  ギャグを考えていると闇がじゃあね、と云った

普川のこの句について、五回にわたって、連載放談されているのだ。あらゆる角度から、句を解剖している。

 という。また、平佐和子「透明人間」では、

 「ぶるうまりん」の仲間うちでは、普川さんは透明人間として知られている。何故そう思われているのか。彼は何時も欠席投句をしているが、吟行の時も欠席投句である。

 と、不思議に面白い普川洋の人柄にも触れている。しかも、吟行句会まで出席しないで投句のみとは、天邪鬼な川柳に相応しいようにすら思えた。
  他の記事では、今泉康弘の「ぶるうまりん 三十五号評」や芙杏子「豊口陽子の『箱』を読む」に興味を抱いた。ともあれ、同誌よりいくつか句を引いておこう。

   昭和は死んだが面白い映画だった    普川素床
   老人の狭き歩幅や冬日和        生駒清治
   浮遊する踵 箍のない邑(くに)    伊東 泉
   嬰児ねむる列車音は見つめつづける   土江香子
   野火嬉嬉として進むとも退るとも    吹野仁子
   あと五年ならば五年の冬灯(ともし)  芙 杏子

 そういえば、昨日は、「ぶるうまりん」を創刊した須藤徹が2013年6月29日に亡くなっての、彼の命日だった。誌面になぜか盟友・松本光雄の名が見られなかったのは淋しかった。



          公演を終わって出口近くでの春風亭昇吉↑

★閑話休題・・・【昇吉の会】

 昨夜は、遊句会で一緒の春風亭昇吉の落語会(国立演芸場)に出掛けた。満員御礼であった。
 演目の前半は、古今亭今いちが一席、昇吉は新作落語『旅行日記』、そして谷川俊太郎作(本田久作脚本)の『ハーデイ・ガーディ』があったが、谷川俊太郎の特徴である言葉遊びが落ちに結びついていく段は、愚生には少し難しかった(愚生の耳が遠いせいもあろうか)。ただ後半の古典落語、人情話しの、清廉潔白の武士「柳田格之進」は、愚生もふくめ、馳せ参じた遊句会の面々も感動しきりだった。遊句会では、いつもは彼に酒食の世話をよくしてもらっているのだが、これも春風亭昇太内弟子時代の気配りの修行が実っているのだと納得した。しかも、愚生の知らない所で、東大経済学部卒業の彼の著書『東大生に最も向かない職業』(祥伝社)があり、全日本落語選手権・策伝大賞優勝をはじめ、数々の落語選手権優勝の履歴があるとは、これまで知らなかった。しかし、それも、昨夜の舞台で納得がいった。
 郷里岡山では、経済学部出を生かした、地元局の経済番組の司会ももっているらしい、どこかの大学の非常勤講師もしているらしいこともわかった。

 春風亭昇吉(しゅうんぷうてい・しょうきち) 1979年、岡山生まれ。



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