2018年6月17日日曜日

祝・「朝日俳壇」選者就任!高山れおな「麿、変?」・・・・


                                             「朝日新聞」6月17日朝刊 ↑


          左・高山れおな、右・筑紫磐井 ↑

 ビッグニュースだ。「朝日俳壇」新選者に金子兜太の後を継いで新選者に就任したのは高山れおな、である。愚生はかつて、金子兜太に「高山れおなって、どんヤツだ」、と聞かれたことがあった。「『豈』の若手俳人で、有望な人ですよ、『俳句空間』新鋭投句欄から出てきた有季定型派ですよ」と答えたら(当時、高山れおなは20代にしてすでに大人ぶりの有季定型の安定した、しっかりした句を書いていた)、「オトコか・・・、オンナかと思ったよ」と言っていた。
 また生前の藤田湘子は、或る時、愚生に「君のところに高山れおなって、いるだろ・・」「ええ、何ですか?」、「彼、面白いね。文章もいいね。独特な視点を持っている・・・」と言われたのを覚えている。
 高山れおな、49歳、攝津幸彦が没した年齢と同じだ。二か月に一度、現在も続いている「豈」の句会は、元はと言えば、高山れおなが「ぼくは句会に出たことがないんです。句会というものを経験してみたいので、『豈』で句会をやってもらえませんか」と筑紫磐井に相談したのが切っ掛けで始まったのだ。そして、攝津幸彦もそれによって句会の面白い面を発見していった。
 最年少にして、結社育ちではではない、いわゆる俳句結社に属さず、独学で俳人になった者が、初めて朝日俳壇選者に就任する(攝津幸彦もまた同人誌育ち、独学だった)。朝日新聞にとっても、俳句の未来、将来を見据えた極めて適切な英断を下したというべきだろう。筑紫磐井は「BLOG俳句新空間」で、

 兜太氏が既存の俳壇、特に保守的な俳壇に果敢に挑戦してきたことは、その俳句を認める人も、認めない人にも肯わないわけにはいきません。そして、高山氏も兜太氏とは違った行き方をとるにせよ、息苦しい既存の俳壇に爽やかな風を吹き込んでくれることは間違いないと思います。最年少の俳壇選者にご支援を賜りたく存じます。

と期待と無私の支援を記している。ブログタイトルにした「麿、変?」の句については、高山れおなが「根っからの形式主義者なので、いつも形式のことを考えている」(「俳句αあるふぁ」増刊号『わたしの一句』)と記した後の結びに、

 (前略)この句のみは自由律。それがもうひとつの形式性ということになる。自由律の理念とはかかわりなく、自由律の形式だけが踏襲されており、しかも最もミニマムな短律が目指されている。具体的に意識していたのは大橋裸木の〈陽へ病む〉で、同じ四音節で並んだわけである。

 と述べている。 ともあれ、「俳句」創刊65周年記念号(2017、6月号付録「現代俳人名鑑」)から、彼のいくつかの句を以下に挙げておこう。


   雛壇を旅立つ雛もなくしづか         れおな
   秋簾撥(かか)げ見るべし降るあめりか 
   果てしなき涼しさといふ夢も見き
   七夕や若く愚かに嗅ぎあへる
   げんぱつ は おとなの あそび ぜんゑい も
   きれ よりも ぎやくぎれ だいじ ぜんゑい も  
   でんとう の かさ の とりかへ むれう で します


高山れおな(たかやま・れおな)、1968年、茨城県生まれ。



   
 

0 件のコメント:

コメントを投稿