2018年6月13日水曜日

安井高志「血はぜんぶ絵の具にかわる真っ青な海に溺れる東京タワー」(『サトゥルヌス菓子店』)・・




 安井高志歌集『サトゥルヌス菓子店』(コールサック社)、集名に因む歌は、

  子供たちみんなが大きなチョコレートケーキにされるサトゥルヌス菓子店 高志

解説は、依田仁美「概念との対話が放つ光芒」、原詩夏至「海底の雪、しずかな雨」、清水らくは「彼に触れれば」の三名。謝辞に母・安井佐代子とあるのは、これが遺歌集だからだ。昨年4月に31歳で急逝した。解説の依田仁美は次のように記している。

 彼は作風においては、現代短歌に合流する気分が希薄だった。秀歌志向ははない。伝統的な括りには入らない。「完成度」なるものは軽薄と考えていたのだろう。さもなければ「カオスの目」に美神を見ていたのであろう。そういう意味から彼の作の多くは「傑出」している。(中略)
 彼は飛び去る物、移ろいゆく物の美に敏感であった。固定物には関心が薄かった。自作に求めたのは巧緻さではない。流動美、そしてその流動美の同位体の滅亡美であった。彼の作品の良さは吟味という手法では追究し難い。逆に、高速で感じても真価が享受可能な世界なのである。「概念との対話」が放つ「光芒」なのだから。

あるいはまた、清水らくはは、

 安井高志の歌はいい人にとっては、いい。このように評してしまうのは、怠慢かもしれない。けれども、自信をもって、そう言っているのだ。多くの人に届ければ、必ず響く人がいる。技術やテーマにこだわる人、時代との関係性を重視する人。そういう人たちには、魅力的に見えなくても仕方がない。しかし私はこう思っている。生まれてから全く短歌に触れずにきた人が初めて出会ったとして、心を動かしうるもの。そういう力が、彼の作品にはあるのだと。

と述べている。確かに手にとれば、アニメのような現代の若い人の息吹がそこここに潜んでいる短歌だろうと思う。ともあれ、集中より、いくつかの作品を以下に挙げておこう。

  みずうみの底にはしろい馬がいた鱗のはえた子を殺す妹   高志
  墓場から夥しい蝶 赤い蝶 あれがキヨコを食べて飛ぶ翅
  三月のキャベツ畑に霧深く眠れ失声症のアンドロイド
  わらうなら紙飛行機をソドムまで見送るようにとばしてみてよ
  くるしみの果てることなく井戸水は死者たちのためこんこん湧く
  カスピ海にあきれるほどの花束をわたしのために墜落させてよ
  歪曲の、水面の波の線形がわたしをいだく空(うつ)の本質
  ただひとつ教えてくれよwikipedia蛇のたまごが落ちる湖
  那由多まで我が身を砕く焔ならばすべてを抱き空へ還そう
  冬の日の曇り空から田圃まで群れる白鷺 死が降ってくるよ 



          撮影・葛城綾呂 ベラゴニウム↑


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