2018年4月13日金曜日

坪内稔典「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」(『船団の俳句』より)・・


 
 船団の会編『船団の俳句』(本阿弥書店)、表紙側帯文には、ねじめ正一が、

  俳句として出来上がっても新鮮な感情を読み手に残したあとは潔く霧散する。この霧散することが、今の俳句にとって過激で、かつ新しい。

と記されている。もっともこの一文は、芳野ヒロユキの項の結びに述べられていることなのだが。また坪内稔典は、「まえがき」から引用された裏表紙の帯に、

 近年、いろんなところで、「船団の俳句は・・・である」という言い方に出会う。・・・に入るのは、軽薄とかむちゃくやとか現代的とか。いずれにしても、否定的というか非難のニュアンスがある。
 もっとも、それは船団的だな、などと言われると少しうれしい。特色が出ている、ということだから。

と述べられられている。言えば、坪内稔典は、その出発から、いわゆる俳壇を批判し、いうところの金子兜太をはじめ、いわゆる前衛俳句を批判し、返す刀で、いわゆる伝統俳句を批判してきた。そのタームが片言性であり口承性だった。その意味ではこれまでも「船団」を率いることによって、自らの俳句への構想を、理論的に、戦略的な俳句運動としても展開してきた。自身の内で、その際もっともこだわったのは現代仮名遣いで俳句を書く、口語で書くということだったのではないかと思われる。そしていま、共感するうねりをいわゆる俳壇における「船団風」として吹かせているのだろう。
 俳壇の流行に常に後れている愚生には「船団調」がささやかれているということも初めて知ったのだが、それでも、坪内稔典がみずから具現すべき俳句の未来に向かって奮闘してきたことは疑うことなく信じることができる。
 ともあれ、その「船団の俳句」といわれる幾人かの一句を以下に挙げておきたい(愚生の知っている人のみになるかもしれないが・・)。

  若狭には文殊おはして蒸鰈       岡野泰輔
  鬼百合のしんしんとゆく明日の空    坪内稔典
  やわらかきからだとなりぬ水中花    三池 泉
  はじまりは仮病なりけり春の風邪    内田美紗
  寝転んで虹はひとりにひとつずつ    塩見恵介
  DX(デラックス)東寺師走の万国旗   火箱ひろ
  無花果や一人に一個頭蓋骨      折原あきの
  ビール飲む腰を痛めたペリカンと    小西昭夫
  駅々はみんな当駅若葉風        中原幸子
  父と子の鱒釣る誰も来ない谷      宮嵜 亀
  戦場に近眼鏡はいくつ飛んだ      池田澄子
  ナイターのみんなで船にのるみたい  三宅やよい
  どこを切っても海鼠は無神論である   木村和也
  福助のお辞儀は永遠に雪がふる    鳥居真里子 
  星が飛ぶ人に没後といふ時間     ふけとしこ
  階段を上る人から影になる      武馬久仁裕
  小春日や隣家の犬の名はピカソ     皆吉 司
  いっぽんの絵日傘のなか彷徨す     若森京子 



           撮影・葛城綾呂 花の下・・青山墓地↑ 
 

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