神野紗希『日めくり子規・漱石』(愛媛新聞社、1000円)、冒頭の「はじめにー子規・漱石と車座に」でこの本の成り立ちが記されている。
この本は、子規・漱石生誕150年の記念に、平成29年1月1日から12月31日までの1年間、「愛媛新聞」で連載した「ひめくり子規・漱石」をまとめたものである。子規と漱石、二人の俳句を中心に、柳原極堂や高浜虚子など、彼らを取り巻く俳人たちの句と毎日対話した。子規の声、漱石の声、にぎやかな句会の声が聞こえてくるようだ。新しい時代をみずみずしく生きた、彼らの声に耳を澄ませてみよう。きっと、十七音が語りかけてきてくれるはず。
車座の声の明るき蜜柑かな 紗希
従って1ページ2段組みの上下に組まれた句と解説を、どのページからでも読めばいいのだ。ブログタイトルに挙げた「若鮎(わかあゆ)」の句は、本日、4月16日のものだが、このページの上段には「『出合の渡し』。右重信川、左石手川」のキャプションが付けられた写真が掲載されている。その解説には、
春になると海から川をのぼってくる、若い小鮎たち。ある地点からは二手に分かれ、さらに川を溯(さかのぼ)る。前書きにある「石手川出合渡(であいのわたし)」とは、石手川と重信川の合流点。ここから鮎は、二つの川へ分かれたのだ。(中略)
この句を詠んだ明治25年、すでに病を得た子規は、己の行く末を見つめ、大学をやめて新聞記者となった。学友の進む道、子規の選んだ道。輝く若鮎に、自らの姿を重ねたか。
とある。ともあれ、以下に、本書に掲載されいる幾つかの一人一句を紹介しておこう。
詩を書かん君墨を磨(す)れ今朝の春 漱石(1月1日)
蒲団(ふとん)から首出せば年の明けて居る 子規(1月2日・以下日月略)
初暦好日三百六十五 村上霽月(せいげつ)
不生不滅明けて鴉(からす)の三羽かな 秋山真之(さねゆき)
のどかさは泥の中行く清水かな 藤野古白(こはく)
温泉に馬洗ひけり春の風 柳原極堂(きょくどう)
親の親も子の子もかくて田打(たうち)かな 安藤橡面坊(とちめんぼう)
螢火(ほたるび)にひかれてまよふ土手の道 清水則遠(のりとお)
夏服に汗のにじみや雲の形 原 抱琴(ほうきん)
とけやすきとはいひながら夏氷 大谷是空(ぜくう)
鵜(う)の濡れ羽(は)こぐや岩間の風薫(かぜかおる) 大原其戎(きじゅう)
二ッ来て互(たがい)に追はず秋のてふ 新海非風(にいのみひふう)
秋汐(あきしお)にやぶれガルタの女王かな 久保より江
句へしたしく萩(はぎ)の咲きそめてゐる 種田山頭火
秋雨に捨て猫けふも捨てかねし 坪内逍遥(しょうよう)
水洟(みずばな)や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介
満州のいくさを語る巨燵(こたつ)哉 陸羯南(くがかつなん)
トビハゼは飛び廻(まわ)りつつ老ひにけり 南方熊楠
炬燵(こたつ)して或(ある)夜の壁の影法師 鈴木三重吉(みえきち)
無始無終山茶花(むしむじゅう)たゞに開落(かいらく)す
寒川鼠骨(さむかわそこつ)
神野紗希(こうの・さき) 1983年、松山市生まれ。
撮影・葛城綾呂 アガパンサス↑
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