2018年4月9日月曜日

山本掌「あきくさやきりぎしに影の痩せゆく」(『月球儀』)・・・


 
 山本掌第4句集『月球儀』(DIPS.A)、装丁は司修。巻頭には「朔太郎ノスタルジア」と題した萩原朔太郎撮影写真6葉に山本掌の句が各一句配されている。著者「謝辞 あとがきにかえて」には、

 句集『月球儀』は「銀(しろがね)の』一九九二年刊、『朱夏の柩』一九九五年、『漆黒の翼』二〇〇三年刊に続く第四句集になります。
 表題を通奏低音とした連作と「俳句から詩へ」という俳句からインスパイアされた詩からなっています。句集名は二〇〇六年から〈俳句を支柱とした〉わたしの個人誌「月球儀」から。毎号特集を組み、現在までに六号を刊行いたしました。

とある。連作と銘打っているだけあって月の句は多い。ただブログタイトルに挙げた「あきくさ」の句は二句配されているが、その間の連なりについては、愚生には不分明だった。「きりぎし」を詠んだもう一句は、

  きりぎしの水の記憶のかすかなる
 
また、その「謝辞」は、以下のように結ばれている。

 その荒凡夫・金子兜太師、二〇一八年二月二十日に旅立たれました。
「海の程(みちのり)」を求めたか、とみずからへ問い続けながら編んだ句集となりました。
師への豊穣な言葉の〈海〉への、一花〈いちげ)となれと念じつつ。

  霧を裂きゆく言の葉を一花とし

 そして、本句集帯文は、金子兜太の事実上、存命中の最後の帯文となったのかも知れないもので、以下に挙げておきたい。山本掌の作者像をよく言いとめていると思う。

 非常に奇妙な現実執着者(しゅうじゃくしゃ)、奇妙に意地悪い洞察者というか、どこかひねくれたと思えるほどにその美意識が常識とは違っている。渾沌(カオス)をみとどけていこうとする作者である。

 句集名に因んだ句は以下、

   月球儀鮎の動悸のおくれけり    掌
   月球儀少女幽閉聖五月
   月球戯おそらく分母は蝶である

ともあれ、いくつかの句を挙げておきたい。

  花時雨つばさの折れし鳥抱き     
  桜二分まだ死体たりぬかな
  月光の贄なるわれの生死かな
  ぎりぎりとからむ蛇さえいとおしや
  月に触れわがみのうちのもの激(たぎ)
  あかつきのわが瞑想に白蝶落つ
  そのあわい有漏路無漏路(うろじむろじ)に月あかり




           撮影・葛城綾呂 ミズナ咲く↑
 

2 件のコメント:

  1. 大井恒行様

    さっそく、読んでいただき、ブログにアップを!ありがとうございました。
    大井さんにどう腑分けされるか、どきどきしておりました。丁重なご紹介を感謝申しあげます。この評を私のブログに載せたいのですが、いかがでしょうか?

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  2. お便り有難うございます。ご自由になさって下さい。
    お身体大切に、ご自愛下さい。

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