2018年4月15日日曜日

鈴木節子「水を見て生身ふはりと藤の下」(『夏のゆくへ』)・・・



 鈴木節子復刻新装版句集『夏のゆくへ』(ふらんす堂)、序文は能村登四郎、跋文は林翔。鈴木節子ちょうど知命、50歳の折りの第一句集である。序には、能村登四郎が期待を込めて、結社が家族で強固なかたちをもつには、お母さん的な存在が必要であり、「沖」でのその存在は鈴木節子であると記したのち、

  節子さんは開放的な人なので、心の中の喜怒哀楽、身辺の出来事すべてそのまま吐き出して決して粉飾したりしない。それでいながら境涯俳句のようにじめじめしないのは心の奥がからりとしているからであろう。

と述べている。それは、どうやら今でも変わっていないようである。また、懇切をきわめ、愛情深く林翔は、

 (前略)この勝気な節子さんがお姑さんに実によく尽くしたことは知られている。「箸立」の章には、そのお姑さんの死を詠んだ十数句がある。(中略)
  
   遠野火や孝女のふりの二十年

 遠野火の句で、私は涙を流した。どんなに尽くしても所詮姑への孝養は「孝女のふり」。深い自省が自ずから暴(あば)いた人間の業(ごう)が、私の魂をゆるがしたのである。

さらに、

 「新しみは俳諧の花」と芭蕉は言ったが、これは古今を通じての真理であろう。発想の新しさが俳句のいのちであるとも言える。この点において著者は天賦の才に恵まれていると言ってよい。ごく自然に手垢のつかない発想が新珠の輝きをもって生まれてくるのである。

とも記している。「沖」で期待多き作家として出発し、「門」では主宰・鈴木鷹夫をよく支えてのち、亡き後には主宰を継いだのである。
 ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

   目を離すとき白牡丹のほむらなす      節子
   竹伐つて冥さを少し動かしぬ
   火の精のつまづくも見えどんど焚く
   埃立つものは叩かず涅槃の日
   水が水くぐるこゑして桃ひらく
   掌中の青さは仮のほたる籠
   来る年の音先だてて湯が沸けり
   おぼろ夜の夫を経てくる生欠伸
   竹山へ父のこゑ消ゆ敗戦日
   箸つかふことなく病みて母の冬
   三寒の遺されて粥うすぐもり
   鮎を食ぶちちははにまだ世が残り
   君死後の強霜の上日を流す
   怺へゐるもののうづきを四温の日

鈴木節子(すずき・せつこ)、昭和7年、東京生まれ。



 

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