2019年4月8日月曜日

鈴木牛後「それぞれの青を雲雀と風と牛」(「藍生」4月号より)・・



 「藍生」4月号(藍生俳句会)の大特集は「鈴木牛後の世界」である。じつは「藍生」は、毎月恵送いただいているのだが、本号に限って、重ねて、黒田杏子自筆のスマートレターにより恵まれた。はて、何か別に理由があるのかな、と思ったが、とにかく、鈴木牛後を読め!、と言っているのかもしれない、と思った。何しろ、相当に期待の人である。
 ただ、本誌挟み込みで、第20回記念講演会「金子兜太の世界」(6月2日開催・於三鷹公会堂)での、黒田杏子+マブソン青眼とのトークセッションのチラシも入っていたので、これを聴きに来なさい、といっているのかも知れないとも考えた。それでも、せっかくの機会を与えられたような気分で、この大特集を読んだ。
 今、NHKの朝ドラ「なつぞら」も始まったばかり。北海道・十勝を舞台にした酪農家がでてくるので、鈴木牛後の酪農家風景を重ねて思ったりもした。
 鈴木牛後「角川俳句賞を受賞して」(「朝日新聞」北海道版(18年11月19日)からの転載に、

 私の農場では搾乳牛を放牧で飼育している。酪農といえば牧場に牛が放たれている風景を想像するかも知れないが、実は北海道でも放牧はもはや少数派となってしまった。栄養計算を基に牛に餌を給与する現代の酪農では、牛がどれくらい餌を食べているか把握できない放牧飼養はあまり歓迎されないからだ。

 とあって、この一文だけでも、彼の酪農に対する志(開拓魂?)と苦労が伺える。その意味では、鶏も平飼いではなくなり、ゲージで飼われ、農業も大型化・機械化、化学肥料へ転換されてきた。愚生は田舎育ちだから、子どもの頃にはまだ、牛や馬の一頭は、各農家で必ず飼っていた。耕運機が普及するまでは、田を掻くにも、畑を耕すにも、運搬するにも牛馬が必要だったのだ。そういえば、豚も飼っていた時期もあった。いわば現代の酪農家の実情や有り様が、鈴木牛後の句やエッセイによって、ああ、そうなのか、と知ることも少なくない。生活と句作は、彼のなかでは一体のものである。例えば、黒田杏子の「選評と鑑賞」には(平成二十六年八月号)、

  (はな)を見(み)ぬ牛(うし)と花見(はなみ)をしてをりぬ   
                           北海道 鈴木 牛後

 鈴木さんからときどき手紙を受けとる。「斉藤凡太さんの生き方と作家姿勢に学んで自分を高めてゆきたい」と。凡太VS牛後、つまり米寿の磯貝漁師と五十代の牛飼い。藍生には二人のすごい作家がおられる。勇気が湧く。

 という具合だ。あるいはまた(平成二十九年十二月号)、

  (ゆき)を前(まえ)に話(はな)すこの世(よ)のことばかり
                           (氏名 略)
 牧場主である。五十五歳のこの人がこんな句を詠まれ投句される。この世のことばかりが妙に面白い。深くこころに残る。仕事にも夢と希望を抱いている牛後さんの俳句には全く独自の世界が蔵されている。

 とも述べている。愚生には、こうした向日性は自句において不足している。では、鈴木牛後は句会に参加する時間が持てるのだろうか?こう書いてある。

 札幌の句会に参加している。今月も参加することに決めて、ヘルパーさんも頼んで準備万端だった。ヘルパーさんのことは以前にも書いたが、酪農家が休日を取るときに、代わりに搾乳などの仕事の世話をしてくれる人のことだ。

 だが、このエッセイがが書かれたときには、急に、一頭の牛が倒れて、句会に行くことを断念している。ともあれ、本誌本号に掲載された句の中から、愚生好みになるが、いくつか以下に挙げておこう。

   話し出す前の呼吸に雪虫来        牛後
   初雪がくるつれてくるついてくる
   初雪は失せたり歩み来し跡も
   ストーブを消せばききゆんと縮む闇
   トラクターに乗りたる火蛾の死しても跳ね
   雪虫の風のに触れゐて吾に触れず
   色鳥のまぢかに鳴いてははるかなる
   祈る手に骨のかたさよ蔦紅葉
   しぐるるや死して牛の眼なほ大き
   初霜の餌場に牛の歯を拾ふ
   熱源のごとし深山の山桜

 鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)、1961年小樽市にて出生、網走郡美幌町で少年時を過ごす。


   

★閑話休題・・我妻民雄「飛ぶといふより初蝶の飛ばさるる」(「小熊座」4月号より)・・   

「小熊座」4月号は、特集「我妻民雄句集『現在』」である。執筆者は、栗林浩「民雄俳句の真実ー句集『現在』」、武良竜彦「我妻民雄句集『現在』考ー『余雪』の動的存在詠から存在の『現在』性へ」。一句鑑賞には、安西篤、増田まさみ、遠山陽子、及川真梨子。武良竜彦には、他に「俳句時評」で「八年目の『震災詠』考(2)ー短歌界の震災詠の視座」があり、興味ある指摘を多くしている。が、

 原発はむしろ被害者、ではないかちいさな声で弁護してみた 岡井隆(『短歌研究』五月号)
 私たちが原発批判によって豊かさを享受してきた事実。その視座なしの原発批判の言辞など偽善である。この視座がこの年の俳人にあっただろうか。  

  
 という部分には、いささか、筆が走り過ぎているのではないかと思った。もともと俳句は断念の形式である。「豊かさを享受」することと「原発批判」は、ありていに言えば、別の問題である。極端にいえば、たとえ偽善であっても善を成せ・・である(でなければ、現実的には原発稼働の推進に加担する結果になる)。岡井隆の歌をイロニーではなく、まともに評価することはたぶん愚生にはできない。そうしたなかで、佐藤通雅の歌は、かつても今も一貫して信頼のおける歌である。

 目に見えぬ放射能恐るる贅沢を遠目にすこちらは逃げ場などない  佐藤通雅
                             (『短歌往来』七月号)

 武良竜彦の時評は連載で、次号からは、俳人個々の検証に入るそうなので、刮目して期待しよう。


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