知らない町の吹雪のなかは知っている 佐藤文香
ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一
ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之
水かげろう根より枯れゆく虹と兄(せ)と 九堂夜想
(前略)後者では、さらに鴇田智哉、関悦史、生駒大祐らがいるのは言うまでもない。
というのも、冷静にみてそうだと思うし、これも彼の見識である。その一人、生駒大祐は、上記、座談会の「AIは俳人を超えるか?」で、
AIがモチベーションをもって詠むことは出来ないとおもいますが、俳句賞をとる確率はあるのではないでしょうか。一句二句なら当然ありうるし、連作でも数十句くらいなら出来るかと。そんな時代を生きる我々は「なぜ詠むのか」ということが考えるべき課題なのかなと思うんです。より本質的な議論なり考えなりが深まるというふうに、AIが作用する可能性もある。
と延べている。この座談会そのものは、司会に髙柳克弘による問題意識がよく反映されていて内容のあるものにしている。例えば、
髙柳 私は、もう少し俳人の虚の意識というか、フィクションの力を信じたい気がします。大事なのは、われわれはジャーナリストではなく、文学者であるということでしょう。震災や戦地の現実を伝えることが役目ではなくて、その真実を考えて、どう作品化するかということ。
と、語り、結び近くでは、
(前略)私は社会から距離をとっている立ち位置なので、社会の真ん中にいる者には見えないものが見えるかもしれない。それが、今後ますます格差が拡大したり、しいたげられ、圧迫されたと感じる人が多くなって来る時代において共感を呼んでもらえるかもしれない。それは隠者文学たる俳諧というものの何か一つ大きな流れ、主流につながっていくのではないかと。疎外されたものから何が見えるのか、俳句を通して表現することが、自分の責務としてあるのかなと思います。
と述べているのは、彼の覚悟を披歴したもの、といえよう。
その他、佐高信の「甘口でコンニチハ!」のゲストはジャーナリストの安田純平。安田はシリアで拘束されていたときに、字余りの句「柿食えば涙がにじむシリアの暗闇」「柿あまく人生悔やむシリアの暗がり」と詠んだという。一度目の2004年には三日間拘束され、「人質」ではなく「スパイ」容疑だったと語っている。そして、
安田(前略)今回のことで、また〇四年のことが「人質」とネット上で言われています。このデマ・誤報が流れたことで、世界中の人々が「人質が解放されている。ということは日本は金を払うんだ」と思ってしまっているんですよ。今回の拘束者はまさにそう考えて私を人質にしたわけです。今回のことで特に言いたいのは、「拘束」と「人質」の意味は、全く違うんだということです。人質解放交渉のためには生存証明を絶対取らなければならないんですが、拘束された四十ヶ月の間、自分の存在証明はとられていない。生存証明とうのは本人にしか答えられない質問を聞いて、それが返ってくることで、その相手が本当に人質を捕まえていて、人質が生きている、という証明になる。写真や動画はいつ撮ったかわからないし、個人情報を書くだけだったら、半年前でも書けちゃうので証明になりません。
外務省は二〇一五年八月に、家族から質問事項を聞き取っているんですが、それを私に聞いてきたのは、解放後の二〇一八年十月二十四日です。捕まっている間に確認を取らなかったということは、交渉すらしなかった、ということなんです。(中略)
それはずっと考えていたので、どうすれば身代金うんぬんというデマをふせげるかと。奴らは、いろんな外国人をいっぱい捕まえていて、あわよくば金を取り、だめなら帰すということをしているわけです。解放されたときは、日本側が全然知らないということをはっきりさせて帰ろうと思っていたんです。(中略)
さっきの「人質」もそうですが、もはや日本人が日本語の意味をちゃんとわかっていない。日本人が日本語を大事にしなくてどうするんだと思うんですけど。
と述べている。つまり、04年のときに、メデアが「人質」と書いてしまい、つまり、身柄の代わりに何かを要求されたときに初めて使われる言葉が「人質」であるにもかかわらず、そうではないときに「人質」と書くメデアの危険性ついて、デマほど危険なものはないということでもある。
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