2019年4月26日金曜日

大牧広「春北風のいのちをしぼるひびきして」(「俳句」5月号より)・・


 大牧広の訃に接した。4月20日、膵臓がんでの死去、享年88。ブログタイトルにした「春北風」の句は、「俳句」5月号の西村和子・佐藤郁良・鴇田智哉の合評鼎談「第5回『俳句』3月号を読む」の中から抽いた。大牧広との最初の出会いは、愚生と一緒に、現代俳句通信講座の講師を務められたときだ。その後、愚生が「俳句界」(文學の森)の世話になっていた時期に、金子兜太との対談などを含めてけっこうお会いする機会があった。何よりも、「俳人九条の会」の呼びかけ人になるよう要請されたのも氏の差配だった。第53回蛇笏賞に、句集『朝の森』(ふらんす堂)が選ばれていたのに、贈賞式を待たず逝かれた。とにかくご冥福を祈る。合掌。
 ところで「俳句」5月号(角川文化振興財団)は「総力特集・さらば平成」である。座談会のメンバーは宇多喜代子・正木ゆう子・小川軽舟・高山れおな・関悦史と魅力的な布陣だが、アンケートによる数字の結果を基調とした「平成百人一句」であるせいか、テレビ番組ふうの俳人人気度ランキングを見せるような企画になっている。とはいえ、覗き見趣味的な、通俗もきらいではない方なので、いろいろ、楽しませてもらった。しかし、なかでは、もっとも真面目に、平成時代の俳句を分析して読ませてくれているのは、鴇田智哉の巻頭随想・俳句に見る平成「俳句の不謹慎さ、そして主体感」であった。少しく引用したい。まずは、小見出しの「3 若い俳人の増加」に、
 
 ここでは「分析型テクニック派」とでも呼ぶべき作家が表れていることを挙げたい。 〈雨粒を恋ふ夕顔の首刎ねよ 生駒大祐〉〈顔痩せて次なる菊を持てりけり 堀下翔〉、少し上の世代では〈煮凝を纏ふや目玉転がせば 岡田一実〉などである。これらの句に共通するのは、助詞・助動詞への細かなこだわり、意味をくっきり結ばないこと(特に作中主体像をはっきり結びすぎない叙法をすること)へのあこがれではないかと思う。一つの大きな流れとしてとらえておきたい。

 と言い、また、「4 俳句と災害の関連」では、

「○○詠」という言い方を、(とくに読者が)何の疑問もなく口にすることは、俳句という形式に対するある「鈍感さ」が伴っている。句の外での情報で意味を補っているからだ。その鈍感さは逆に作者がどの程度被災した人か、ということへの敏感さへとつながる。句に意味を見出そうとする読み方が、その根底にあるだろう。しかし、俳句はそもそも、意味を申し伝えるものなのだろうか。意味に偏った読み方をしたとき露呈されるのは、俳句にまつわる鈍感さ、不謹慎さではなかろうか。平成にて大災害が起こり、それが俳句に影響を与えたことから、はからずも、俳句がそもそももっている、ある種の軽さ、不謹慎さが、顕在化したのだと、私はおもっている。
  
 と、述べているが、前記した、同誌の合評鼎談の中では、彼が三人の中ではもっとも若いせいか、すこしく遠慮がちで、不謹慎さが不足しているように思えた。そして、「5 おわりに(主体感について)」では、

 俳句を読むとき、あらゆる句には、その句特有の「主体」(のようなもの)が感じられる。たとえば、〈初夢のなかをどんなに走つたやら 飯島晴子〉〈たはぶれに美僧をつれて雪解野は〉〈空豆空色負けるということ 阿部完市〉〈墓石に映つてゐるは夏蜜柑 岸本尚毅〉の四句それぞれに別の「主体」あるいは「見えない語り手」(のようなもの)が感じられる。よく使われる「作中主体」というものともちょっと違う、俳句の一句一句にその都度オリジナルにたち現れる「おばけ」のようなもののことだ。(中略)
ちなみに、さきに挙げた「分析型テクニック派」の句から醸し出されるのは、幽霊のようにその都度たちあらわれるやわらかな主体感だったりする。古今のあらゆる句には、その句特有の主体感があり、私たちはそれをうすうす感じてきたと思う。ただ、俳句が語られるとき、これは今までの時代、あまり言語化されてこなかったと思う。主体感を感じ取る感性を育て、それを言語化して語ることは、これから俳句を読み、また作る上での鍵になるという予感が、私にはある。
 俳句というものの歴史が長くなればなるほど、登場する作家の数は積み重なり、読みの経験もうずたかく積っていくわけだから、単純にいえば、昭和の読者よりも平成の読者のほうが、俳句についてより豊かで幅広くかつ繊細な読みをすることが可能であると考えられる。次の時代はそれがさらに、進むということになるのはないか。

 と述べている。インターネットの時代がそれをさらに加速させ、その状況を支えることになっ来ているのだろう。ともあれ、同誌同号から、愚生の昔の仲間で好みの句を以下に挙げておきたい。

  よかったようなそうでなかったような春よ  宇多喜代子
  足元のおぼつかぬまま春立てり        仁平 勝
  太陽の溶けかかるかに霞立つ         澤 好摩
  木を植ゑてむかし天皇誕生日         桑原三郎



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