2022年10月2日日曜日

山下知津子「赤子イエスも難民たりし鳥曇」(「藍生」10月号より)・・


 「藍生」10月号(藍生俳句会)、先々月号から始まったシリーズ特集に「戦後生まれの女性俳人」がある。戦後生まれ女性俳人2名のずつ、主要には「藍生」同人と「藍生」以外の女性俳人で構成され、これまでに岩田由美・井上弘美(8月号)、鈴木忍・小林貴子(9月号)、そして、今月、10月号は毬矢まりえ・山下知津子である。因みに来月11月号は髙田正子・対馬康子が予告されている。それぞれの来し方行方を「私のこれまで これから」のタイトルのもとに記されており、加えて自選百句が添えられ、それぞれの俳人の参考資料として重要なエッセイとなっている。愚生にとっては初めて知ることが多く意義深かった。その中で「俳句との出会い」について、山下知津子は、


 その頃何かの文章の中で〈死にたれば人来て大根煮(た)きはじむ〉という下村槐多の一句を読んで衝撃を受けた。私の実家のあたりでは当時まだ葬儀は自宅で、隣近所の人々が協力しつつ行うものだった。(中略)

 芭蕉への関心が高まっていたことも相俟って、急に俳句に興味が湧いた。その頃「ミセス」には俳壇があり、私は初めて作った〈冬の木の節々勁き力あり〉という句を投稿したところ、佳作に入った。選者は野澤節子。驚いた私はすぐに野澤節子の第一句集『未明音』を読んでさらに驚愕したそこには私がそれまで抱いていた俳句に対するイメージとは全く異なったのである。

  われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず

  春燈にひとりの奈落ありて坐す

 緊迫感に満ちたこれら節子の句に圧倒された。


 また、「受洗」の項には、


 娘が女子学院に通い始めると、小学校から大学まで公立、官立の学校で学んだ私にはカルチャーショックが大きかった。女子学院ではキリスト教の理念を掲げ、毎朝の礼拝や聖書の授業以外にも、弱い立場の人々への眼差しを持つことの大切さが折に触れ語られた。難民、紛争、飢餓、差別など社会や世界の諸問題に対し、生徒たちが関心を持ち考えるようにする教育が徹底していた。


 そして、最後の「これから」」には、


 (前略)「ヴィパッサーナ」とは古代パーリ語で「はっきり見る」を意味するという。(中略)この瞑想の核心の一つは「今ここの現実を、価値判断を持ち込まず、はっきり見なさい。丁寧に観察しなさい」ということであるらしい。この書を読み進めていくうち、なんだかどこかで道元の世界に繋がっていくような気配を感じた。

 また、今ここの眼前にあるものを「価値判断を持ち込まず丁寧に観察するとは、俳句を作ることに通うものがあるのではないかとも思った。


 とあった。一方、毬矢まりえは、


 私を俳句に導いてくれたのは母だった。母は深見けんじ先生の門下であった・句会毎に出される兼題を母は分厚い歳時記を何冊も開き、調べる。傍観していた私だが、いつの間にか「季語」に心を捉えられていた。と同時にこの季語の世界を自分が昔から既によく知っている、という不思議な感覚に驚くことにもなった。(中略)

 まず書き始めたのは、俳句そのものよりも評論だったと思う。誰にも見せずにぽつりぽつりと俳句を作り始めてはいたが、私には散文を書くことも好ましかった。そうやって俳句とは何か、という命題に向き合いながら、私は俳句の実作者になっていったのだ。


 と記している。ここでは、紹介しきれないので、お二人のエッセイには直接本誌にあたられたい。ともあれ、以下には、愚生好みに偏するが、句をいくつか紹介しておきたい。


    螢火やもつとも黒く近き山      知津子

    曙光まだ天にのみあり寒卵

    まつさきに火とならん髪洗ひをり

    軍装が正装なりし盆灯籠

    ほととぎす初音は父の骨壷に


    石の教会オリーブの実青き      まりえ

    一面の地雷をかくし夏薊

    クリムトの渦をいくつも春の池

    山の黙ほたるぶくろの鳴るばかり

    パナケイア来たれコロナ禍梅雨茫茫



★閑話休題・・ドナルド・キーン「奥の旅の初(はじめ)や花のぬかる道」(『ドナルド・キーンと俳句』より)・・


 毬矢まりえ著『ドナルド・キーンと俳句』(白水社)、帯には、


 生誕100年。/生涯にわたる日本文化研究と伝播の原点を、ドナルド・キーン賞特別賞受賞の著者が新たな視点で解き明かす渾身の力作。/未発表含む自作25句も鑑賞。


 とあった。「エピローグ」には、


(前略)「ドナルド・キーンと俳句」というテーマは、私には文字どおり「おくのほそ道」となった。ほかに類書は見当たらず、膨大な著作に埋もれてもがくばかり。そもそもこのテーマでよかったのだろうか。細道をとぼとぼ歩みながら、時に心細くなった。そんな私の前に現れたのである。

 芭蕉、不折、子規が。

 点と点が繫がり、輪となった。ミッシング・リンクがはまっていく音が聞こえた。シンプルで美しい答えが、ここキーン邸にあった。キーンの人生は俳句と分かちがたいものだったのである。(中略)

 今日、俳句は世界各地で受容され、それぞれの言語で独自の文化を開花させている。キーンが日本文化を世界に伝道するうえで、俳句を真木柱としていたのが、そのひとつの理由であった。俳句だけではない。いまや連歌も、俳文も、世界文学の大樹に有機的に繋がっているではないか。


 とあるドナルド・キーン未発表含む25句からいくつか挙げておこう。


   白玉の消ゆる方に芳夢蘭(ホームラン)

   行く夏や別れを惜む百合の昼

   文月や筆のかわりに猫のひげ

   冬の旅/鏡に残る/花の影

   稲刈や/二百とせ乃/記念(かたみ)なり

   初春や/吉日めでて/長く飲む

   岩村の岩より/うまし秋の酒

   ゆく夏や田ごとを守る石地蔵


 毬矢まりえ(まりや・まりえ)1964年、東京生まれ。



    撮影・中西ひろ美「きりかぶを霧が渡れば振り出しに」↑

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